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投稿日時: 2015/1/28

参議院議員 中山恭子

日本政府の調査団が北朝鮮から十月三十日、帰国しました。拉致問題に関しては事実上のゼロ回答でした。かねがねこの交渉を危惧し、折に触れて警鐘を鳴らしてきましたが、その心配が現実になったと痛感しています。今の交渉をこのまま続けても拉致被害者が救出されることはありません。

一刻も早くこの交渉をいったん止める必要があります。そして交渉当事者を外務省から、拉致被害者に関して十分な情報を持つ拉致担当大臣を中心にした警察関係者などに代えたうえで、北朝鮮に対し、拉致被害者を全員帰国させる決断を迫る交渉を進めるべきと考えます。北朝鮮側の担当者も拉致問題について判断権限を持つ者に代わらなければならないことは勿論です。

拉致被害者を取り返すべく外務省は動いてくれている、と信じている方は依然いるかもしれません。いくら働きかけても北朝鮮が言うことを聞かないから事態が進まない。こう考えている方もいるでしょう。北朝鮮相手の交渉が難しいことは確かですが、問題はそこにあるわけではありません。

千載一遇の好機到来

まず北朝鮮を取り巻く情勢を見ますと、二〇一四年に入り、北朝鮮は日本との接触を強めました。拉致問題が進展するのではないか、との見方が広がりました。

二〇一三年十二月、北朝鮮の最高幹部、張成沢氏が粛清・処刑されました。張成沢氏は中国とのパイプ役として重要な役割を担っていましたので、北朝鮮と中国との関係は険悪になってしまいました。金正恩第一書記は、未だ中国公式訪問もできておらず、ロシアとも良好な関係がまだ築けていません。米国には「ならず者国家」と見なされ、北朝鮮の孤立は深まるばかりです。打開のために拉致問題が動きだすだろう、今がチャンスだと、さまざまな機会に発言してきました。

問題だらけの合意文書

ところが五月二十九日付で公表された日朝政府間協議の合意文書(ストックホルム合意)を見て、衝撃を受けました。背筋が寒くなる思いでした。合意文書の冒頭はこうなっています。

《双方は、日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために、真摯に協議を行った》

私達は北朝鮮との国交正常化の交渉を論じる前にまず拉致被害者が救出されなければならないと考えてきました。日本政府も拉致問題が解決しなければ国交正常化など許されないという立場だったはずです。

二〇〇二年九月十七日に小泉純一郎首相が訪朝し、金正日総書記と首脳会談を行い、平壌宣言に署名しました。当時の日本政府は北朝鮮が拉致問題を認めて謝罪すれば、国交正常化をするという考えでした。つまり、外務省の仕事は日朝国交正常化をすることであり、拉致被害者の救出は念頭にありませんでした。

十月十五日、五人の拉致被害者が出張目的で日本に帰ってきました。地村保志さん夫妻、蓮池薫さん夫妻、そして曽我ひとみさんの五人です。

当時、この問題を担当していた安倍晋三官房副長官の下で開かれていた会議で、五人を日本に残すべきであると主張しました。そう簡単なことではありませんでしたが、最終的には安倍官房副長官が、「解った。そうしよう」と決断して下さり、五人は日本に留まることとなりました。その後家族も無事日本に到着し、頑張っています。

この間、テレビの取材中に、「国家の意思の問題だ」と発言しましたら、全国から多くの非難の電話、メール、ファックスが寄せられました。たった十二年前のことですが、日本では、「国家」と言う単語を使うことすらタブーでした。国家が自分の国の国民を守る、領土を守る、国防といったことは口にしてはならないことだったのです。

国家の意思で拉致被害者を守るべきであるとの方針は、総理のご了解も得て、政府の方針とされていました。小泉総理は「拉致問題の解決なくして、国交正常化なし」という非常にわかり易いフレーズを機会ある毎に、発信して下さいました。まず拉致問題を解決すべきで、それがなければ、北朝鮮との国交正常化などあり得ない。これが以来続いてきていた方針でした。

救出のマインドなき外務省

ところが、このストックホルム合意は冒頭から二〇〇二年以前の外務省の考え方に戻ってしまっています。ストックホルム合意は、拉致被害者の救出が、最重要課題となっていません。日本側は、日本人遺骨の問題、墓参の問題、日本人配偶者の問題、拉致被害者の問題について調査を包括的かつ全面的に実施することを要請したとなっています。外務省の説明によれば、拉致問題が置きざりにされないために、これらの調査を同時並行的に行うこととしたとのことです。日本は、工作員の侵入も防げず、袋詰めにされて連れ去られ、北朝鮮で監禁状態に置かれている日本人、国家による犯罪の被害者を生きて救出できるよう優先して取り組まねばならない筈です。しかし、ストックホルム合意は、国交正常化が日本政府の仕事であり、拉致問題はそのための懸案事項のひとつに過ぎないとの立場に立った合意となっており、拉致被害者が帰国することは殆ど望めません。

この合意文書は、日本側に―北朝鮮側だけでは決してありません―拉致被害者を救出して帰国させようという意思やマインドがまったくないことを示してしまった文書です。

拉致問題が最重要課題となっていないことはこの合意文書の冒頭だけでなく随所に読み取れます。

北朝鮮側の取る措置として《第五に、拉致問題については、拉致被害者及び行方不明者に対する調査の状況を日本側に随時通報し、調査の過程において日本人の生存者が発見される場合には、その状況を日本側に伝え、帰国させる方向で去就の問題に関して協議し、必要な措置を講じることとした》と書かれています。

日本人が発見された場合に「帰国させる」と約束しているのではありません。「帰国させる方向で去就の問題に関して協議する」となっています。北朝鮮は被害者を日本へ帰国させるつもりは絶対ありませんよ、と言っているに等しいのです。《…生存者が発見された場合には、日本政府の者が人定確認をし、直ちに帰国させる》との文言でなければなりません。

拉致被害者には必ず指導員がついています。拉致被害者は指導員から指示された言葉以外は、決して口に出来ません。

小泉総理の二度目の訪朝の際、総理は北朝鮮に残されていた曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんと二人のお嬢さんに対し、一緒に日本へ行きましょうと約一時間かけて説得しました。

ところが、日本の総理大臣が説得しても、ジェンキンスさんとお嬢さん二人は「今日、どうしてひとみを連れてこなかったのか」「どうしてお母さんを連れてきてくれないんですか」と繰り返し小泉総理を非難したそうです。被害者は指導員が指導した言葉以外の言葉を決して言えません。私はその場にいたわけではありませんが、そのときの事情をあとで知りました。

曽我ひとみさんの帰国から一年九カ月後、ひとみさんと夫ジェンキンスさん一家はインドネシア・ジャカルタで再会しました。ジェンキンスさんと二人のお嬢さんを日本政府がチャーター機で平壌に出迎え、北朝鮮を出国、ジャカルタに到着後、家族四人がジャカルタのホテルで過ごしました。

約一週間後、ジェンキンスさんが日本に行きたいと伝えてきました。慌ただしい時でしたが、私は「平壌で、日本の総理が『一緒に日本に行こう』と熱心に説得したのに、なぜ一緒に日本に行きたいと言わなかったのか」と尋ねました。

ジェンキンスさんは、何故そんな質問をするのかと、キョトンとした様子でしたが、「あの時、もし自分が日本に行きたいと言っていたら、総理はそのまま飛行場に行くだろうが、自分たちは別ルートにされ、そのあいだに三人とも殺されていましたよ」との答えが返ってきました。「なぜそんなことが分からないのだ」と言いたげでした。

被害者は北朝鮮で「日本に行きたい」とは絶対に言えないのです。指導員から、「北朝鮮で幸せな生活をしているから日本に行くつもりはない」と言いなさいとの指導があれば、その通りの発言となり、ストックホルム合意に従えば、被害者の去就は北朝鮮に残ることとなります。

まず大前提としてそのことをしっかりと認識して事に臨まなければなりません。

担当者に「…直ちに帰国させる」となぜ書かなかったのか、と問い質しました。すると「帰国させる方向で」という単語は日本側の主張で入れたものですと満足げな答えが返ってきました。だから問題はないといわんばかりでした。

日本は「ちょろい」

合意文書の第三パラグラフには《北朝鮮側は…全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施し、最終的に、日本人に関する全ての問題を解決する意思を表明した》という表現があります。

今回実施する調査の結果を示したら、それで全て終わりにしますと言っているのです。拉致被害者の解放については、それで終わりか否かは、日本側が納得できるかどうかの問題だと考えます。

二〇〇二年死亡と伝えられた時、横田めぐみさんは病院の裏庭で木の枝にひもを下げて自殺したと伝えてきました。ところが、その病院の裏庭には自殺できるような枝のある木は一本も無かったことがはっきりしています。すると二〇〇四年に遺骨を出してきました。この遺骨も別人のものであることが鑑定されました。そして、先月、死亡の原因は薬物の過剰投与であったと、脱北者を使って言わせています。

今回、北朝鮮がゼロベースで調査しなおすと述べたことについて、死亡したと伝えてきた被害者が調査の結果生存しているとの報告があるのではないかと期待する者もいるようです。しかし、ゼロベースで調査をするとの意味は、二〇〇二年の時の死亡についての説明が子供だましのようなあまりにも杜撰なものであったので、もう少し辻褄の合う説明を作りますとの意味であると解釈して対応するのが妥当だろうと考えます。

そして、上手く説明できる調査報告を作れたら、それを通報し、日本人に関する全ての問題を終了する。日本側が納得しようとしまいと、最終的なものであるということを合意したというのがストックホルム合意なのです。日本側もそれをのんでいるわけです。

あくまで国交正常化が目標であり、それが自分達の仕事だと考えている外務省には拉致被害者を救出しなければならないという考えがもともとないのだと言わざるを得ません。遺骨の問題、墓参の問題など利権に絡む案件を進めながら、拉致問題については形だけ整えばそれで良しとも言える対応は極めて残念なことです。

さらに、合意文書には「包括的」という言葉が随所にあります。それは決して拉致を先行させることなどないという意味です。

合意文書には《調査は一部の調査のみを優先するのではなく、全ての分野について、同時並行的に行うこととした》とあります。そこまで手が打たれて、それを日本は了承しているのです。

合意後の北朝鮮側の反応は「日本はちょろい」というものでした。大勝利だと考えているのです。北朝鮮は、制裁の一部解除という実質的な成果も得た、このルートを壊さずに、このルートで日本側と交渉を続けようとしています。

もちろん、北朝鮮の中には、拉致問題解決、拉致被害者の帰国なしに、日本が国交正常化を進め、巨額の経済支援を行うことはないと考えている人々がいます。ところが、あまりにも簡単に日本側が折れて北朝鮮の言いなりになってしまっており、しかも思いがけない成果が得られているので、これらの人々は、今は沈黙しているに違いありません。拉致被害者の問題に手を付けずとも日本から大きな成果が得られるのですから、当然のことです。

ストックホルム合意が発表された直後の六月一日でした。茨城県那珂市で国民集会が開かれました。被害者のご家族の方も参加し、政府からの出席者もいました。拉致問題が進展するようだと大きな期待に包まれていました。私は正直気が重かった。でも、やっぱり言っておかなければならないと思い、今回の合意では、拉致被害者が帰国することにはつながりませんと述べました。チャンスではあるけれども、非常に危険な合意で、むしろこの交渉はいったん止めなければいけないとまで主張しました。会場はシーンとしてしまいました。

安倍総理は被害者を必ず取り戻すと繰り返して言ってらっしゃる。にもかかわらず、そこを通り抜ける形でこうした合意が結ばれてしまっていることは不可解です。被害者の家族は、安倍総理だったら、何とかしてくれるのではないか、と頼っています。すがる思いといってもいい。

総理は救出したいと本気で考えていらっしゃる。それがわかっていながら、なぜ外務省はこういう合意を平然と結んでしまうのか。しかも外務省はこの合意について「安倍総理了解のうえで合意した文書だ」と公の席で説明しています。あまりに無責任です。

軽くあしらわれた政府代表団

今回、訪朝の直前になって安倍総理は今回の訪朝団の役割は、拉致問題が最重要課題だと伝えに行くことだと発言されました。菅義偉官房長官からも同様の発言がありました。これまでの交渉では拉致問題が最重要課題として扱われていなかったということを明確に示しています。ストックホルム合意を修正したい、その意思表示のための訪朝と考えられます。

訪朝時の様子で北朝鮮の態度は一層よくわかったと思います。保衛部の副部長として現われた人物の記章が階級の低い星が一つだった点は多くの方々が指摘しています。着ていた洋服も保衛部の副部長が身に着けるものとは言えません。会議が開かれたのは彼の執務室と称される場所でした。報道の写真で見ますと、いかに軽くあしらわれているかを直ちに読み取ることが出来ます。外国政府の代表団との会議ですから、普通は壁も机も椅子もきちんとした格式のあるもので、通常はシャンデリアがある会議室が用意されている筈です。今回の会議室はこの方の執務室というより、急きょテーブルを入れてつくった部屋だったのかもしれません。北朝鮮は言葉ではなく、このようなやり方で北朝鮮の意図を示してきます。いかに軽く見ているか。それがわかると思います。このような対応であれば、交渉にならないと言って帰ってきて良かったのではないかと思います。

拉致交渉の仕切り直しを

拉致問題をこのまま外務省に任せていいのか。私達は本気で考え直さねばならないと思います。安倍首相は拉致問題が最重要課題だと言い続けている。にもかかわらず外務省の動きはそうなっていません。そもそも外務省は国交正常化を仕事としており、犯罪に関わる交渉は外務省の管轄を超えています。テロや人質を専門とする知見を持った人々が担当すべきと考えます。

外務省は、現在交渉の線が切れれば、拉致もダメになると主張するかもしれません。しかし、この交渉をいくら続けても、遺骨のビジネスや日本からの支援事業だけが進み、拉致被害者の救出には到達しないでしょう。であれば、交渉の仕切り直しが必要です。

農産品交渉は外務省ではなく農水省が行います。航空協定の交渉も国交省が行います。自動車交渉は経産省です。拉致被害者の救出も、外務省のテーマではないはずで、犯罪被害者の救出という意味で警察や、拉致対策本部が中心になってやるべきだと私は考えています。

「平壌宣言」と「ストックホルム合意」、そして今回の出来事の根底には、国土を守り、自国民を守ることを遠ざけてきた戦後の日本外交の欠陥があり、それが如実に突きつけられていると言えましょう。外交とは当たりの良い言葉だけで成り立つものではありません。国家を背負って時に厳しく臨み、戦わねばならない場面だってあるはずです。そのためにはまず今も自由を奪われ、救出を待っている私達の同胞に思いを馳せること、そして何としても助け出すのだという気持ちを持って臨むことが不可欠だと考えています。

最後にひとこと。いいたいのは

まず拉致問題にしぼって交渉せよ。ということです。

(構成 本誌・安藤慶太)

中山恭子氏
昭和15(1940)年、東京生まれ。東京大学卒。大蔵省入省。同省初の女性課長や初の女性地方支分部局長を務め、平成5年に退官。ウズベキスタン兼タジキスタン特命全権大使、首相補佐官など歴任。平成19年、参院選に自民党比例区から出馬し当選。拉致問題担当相など歴任。その後、たちあがれ日本、日本維新の会を経て次世代の党に所属。著書に『ウズベキスタンの桜』『国想い 夢紡ぎ』など。


投稿日時: 2014/10/29

拉致が脇に追いやられている日朝合意

西岡

今年五月二十九日、日本と北朝鮮は、北朝鮮による日本人拉致被害者らについて再調査することで合意しました。これまで「拉致は解決ずみ」と言ってきた北朝鮮の姿勢が変化したことで、被害者救出を目指してきた「救う会」には「よかったですね」という声がたくさん寄せられました。しかし実は、このとき発表された政府間協議の合意文書を読み、内心「本当によかったのだろうか」という複雑な思いでいました。そうしたら発表翌日、テレビカメラの前で中山先生が「よく見極めないとたいへんなことが起きる」「大丈夫なのか」と強い懸念を表明され、懸念はさらに強くなりました。

中山

あのときは、厳しい言葉を使ってしまいました。合意文書に目を通して、というより目を通し始めた瞬間に感じたのは、拉致被害者救出が合意の主要テーマになっていない、ということでした。文書は「双方は、日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために、真摯な協議を行った」という書き出しになっています。平成十四(二〇〇二)年九月十七日に訪朝した小泉純一郎首相が金正日国防委員長と交わした平壌宣言には、「拉致」という文言は入っていません。いわゆる「国交正常化」交渉に主眼を置いていて、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」などと曖昧な言葉で触れているだけです。その「平壌宣言に則って」という書き出しですから、拉致問題が脇に追いやられているという印象を強く受けました。

西岡

平壌宣言を出したあと、北朝鮮はミサイルを発射したり核実験を強行したりと宣言の合意事項に繰り返し違反してきました。宣言は無効でしょう。

中山

ええ。ところが日本の外務省は今もなお平壌宣言を後生大事に抱え込んでいるとしか思えません。北朝鮮がミサイルを発射した段階で宣言は無効だと言い切るべきだったのに、それもしないで現在まで来ている。今回の合意文書の「不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し」という文言も平壌宣言に出てきます。その文言を使って「真摯に協議をした」というのであれば、やはり日朝国交正常化に重点を置いた合意であるとしか読めないのです。

読み進むと、北朝鮮側が約束した行動措置として、北朝鮮内の日本人に関する調査が挙げられているのですが、この項目もどう理解してよいのか分かりませんでした。「第一に、1945年前後に北朝鮮領域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者」ときて、最後にやっと「拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人」と出てくる。拉致は犯罪行為です。戦後に残留せざるを得なかった方々や帰国事業で北に行かれたいわゆる「日本人妻」の調査も間違いなく重要ですが、袋詰めにされるなどして無理矢理暴力的に連れていかれたり、騙されたりして連れていかれた犯罪の被害者を同列に扱う、あるいは最後に記してすませるという感覚は、何なのかと思いました。

一読して、これは外務省の中でずっと続いている流れ、つまり日朝の国交正常化交渉を実現させるための合意でしかないと考えざるを得ませんでした。拉致被害者救出のための話し合いが、真剣になされてないのではないかと心配されます。国交正常化問題は交渉ですが、拉致の問題は交渉ではなく救出なのです。そこを分かっているのでしょうか。

西岡

北朝鮮が拉致を認める前には、槙田邦彦アジア大洋州局長(当時)が「(拉致された)たった十人のことで日朝国交正常化交渉が止まってよいのか」と発言したのを思い出します。

中山

国交正常化最優先の姿勢がいまも変わっていないということですね。

西岡

私が最も心配している点は、生存している被害者の身の安全です。昨年処刑された張成沢は実は認定被害者全員を返すという方針で日本と交渉しようとしていました。それに反対していたのが統一戦線部です。現在の交渉は、その統一戦線部が主流になっている。だとすると、認定被害者はほとんど帰ってこず、最悪の場合は生きている被害者を殺して、本物の遺骨にして出してくることさえあり得るのではないか。そんな危険性があると思いました。

本誌七月号で書きましたが、北朝鮮は二〇〇七年頃から「日本のDNA鑑定技術で死亡時期や死因はどの程度分かるのか」を調査していたという情報を北の内部から入手していたからです。二〇一二年には遺骨を高温で焼いた後、DNAを鑑定する実験までヨーロッパで実施しています。その骨が誰のモノかは判断できるが、死亡時期や死因は判別できないという火葬温度を探ったというのです。

今回の合意の背景には、経済制裁が効いて北朝鮮が外貨不足に陥り、中朝関係も悪くなって困り果てて日本に接近してきたという事情があります。その点で、制裁圧力で彼らを交渉の場に引きずり出すという第一次安倍政権以降の戦略は成功だった。そのことは押えておくべきですが、交渉でいつも嘘をつく彼らが、被害者を殺して遺骨をつくるという恐ろしい嘘を考えているのであれば、取り返しがつかない。そのため、水面下で、認定被害者が本当は生きているのだという保証を日本が取ったうえで協議を進めているのか。心配しています。

北朝鮮で「帰国を協議する」ことの危険

西岡

次に、合意文書の中の北朝鮮がやるべき行動措置の第5に、こう書いてあります。「拉致問題については、拉致被害者および行方不明者に対する調査の状況を日本側に随時通報し、調査の過程において日本人の生存者が発見される場合には、その状況を日本側に伝え、帰国させる方向で去就の問題に関して協議し、必要な措置を講じることとした」。《帰国させる方向で去就を協議》という文言は、私には罠だとしか読めません。そのことは、二〇〇二年に五人の被害者、蓮池さん、地村さん夫妻と曽我ひとみさんの帰国、そして彼らの家族が日本に帰るか帰らないかを決めるとき、拉致被害者・家族支援参与として渦中にいらっしゃった中山先生が最もよくご存じだと思います。

中山

そうです、私もこの項目はまずいと思いました。外務省に「北朝鮮で被害者が去就を考えるということはあってはならない。なぜはっきりと《帰国させる》と書けなかったのか」と確認したところ、「そうは書いていませんが、《帰国させる方向で》という文言は日本側の主張で入ったのです」という答えでした。ですから確かに努力はしているのでしょうが、実際に北朝鮮で被害者が置かれている状況に無頓着にすぎるのではないかと危惧しました。政府は帰国した被害者らから聞き取りをしていますので、この合意内容は危険だと分かっている人は相当いるはずです。帰国した五人、そしてその家族たちから話を聞いていれば、こんな合意をすることは決してないはずです。

二〇〇八年の交渉でも、北朝鮮から「拉致被害者が発見された」という情報――勿論つくりごとだとは分かっていますが――そういう言葉で通報があった場合には、日本政府の者が平壌に行って、人定確認をした上で、直ちに帰国させると主張していました。

ところが、外務省だけの交渉になると、合意文書をつくること自体が目標になってしまい、足して二で割ったような内容の文書ができる。でも拉致被害者は、足して二で割る文書では救出できません。北朝鮮側としても「方向で」というような文言は十分呑める。本来は、「人定確認の上、帰国させる」という文章でなければならないのに、妥協したような文章になっている。救出のためにはあってはならないことです。

西岡

ひとみさんの夫のジェンキンスさんは、二〇〇四年に二度目の訪朝をした小泉総理から日本行きを説得され、「行きたくない」と答えたんですよね。後でジェンキンスさんに聞くと、「あのとき日本に行くと言ったら、私は車で空港に向かう途中、そのままどこかに連れていかれただろうと思った」と話したと聞いています。それほどの恐怖心を持っている。

中山

「どこかに連れていかれただろう」ではなく「殺されていただろう」と、はっきり言っていました。あのとき、インドネシアで曽我ひとみさんと生活を共にして日本行きについて考えてもらうこととしました。私たちは日本行きを決断するには半年、あるいは一年くらいかかるのではないかと思っていましたが、存外に早く一週間ほどで決断してくれました。ひとみさんが頑張りました。そしてインドネシア政府の協力も大きかったと思います。ジェンキンスさんたちが飛行機を降りるタラップのすぐそばまで、外務省や家族支援室のスタッフたち日本人だけがいるバスをつけてジェンキンスさんたちを乗せてくれたのです。

ジェンキンスさんとお嬢さん二人がタラップを降りてきたときの映像を覚えてらっしゃるでしょうか。

西岡

ひとみさんが抱きついた。

中山

そうです。私は、「まあ、ひとみさんてこんなことをする人ではないのに」と一瞬思いましたが、そのあとすぐに納得しました。北朝鮮では人前で抱擁することは許されてない社会です。それなのに敢えて降りてきた瞬間に抱きしめてしまった。女性としての本能的行動だったんでしょう、「あなたはもう北朝鮮から出たのよ、ここは北朝鮮じゃないのよ」ということを体で伝えようとしたのだと思います。強いなあと思いましたね。体をぶつけて「もう北朝鮮から出たんだ!」という感覚をジェンキンスさんに植えつけた行為だったと思います。

西岡

ジェンキンスさんたちをインドネシアに運ぶのに、政府はチャーター便を使いました。そのことでお金を使い過ぎだといった批判もありましたが、チャーター便の機内は日本国で、座席も日本が決めることができる。

中山

指導員が二人付いてきていましたからね。

西岡

ええ。蓮池さんたち五人が帰国したときもそうですけども、指導員を一番後ろの座席にして、機内で接触をさせないようにすることができた。つまり被害者を北朝鮮の監視からはずす空間をつくったわけです。

中山

そう。五人が帰国した便では完全に遮断しました。話も一切していません。

西岡

インドネシアまでジェンキンスさんに付いてきた指導員も、蓮池さんたちが帰国した際に付いてきた指導員も、実は北朝鮮で彼らを長く担当していた人たちでした。つまり人間的な関係ができている人たちだったのです。ジェンキンスさんや蓮池さんたちは、自分が北朝鮮に戻らないという決断をしたら、これまで世話になってきた彼らが処罰されるかもしれないと考える。そんな人としての情までも利用して操ろうとする世界なわけです。

北朝鮮では、生活総和という義務が課せられています。一週間に一回、金日成・金正日の教えに照らして自分が間違ってなかったかどうか自己批判をし、その後相互批判する。労働党員は党の細胞でやりますし、職場でも行われる。主婦たちは隣組みたいな組織でしなくてはならない。それを監督するのが指導員です。ですから、彼らに何かまずいことを報告されたら、どうなるか分からない。金日成・金正日の教えに沿ったことしか話してはいけないという世界に住まわされてきた人たちに、自分の意思で話してもいいのだと分かってもらえる安心感をつくらないといけないわけです。しかし、この合意文書からは、その点への理解が感じられません。

中山

二〇〇二年に帰国した五人は指導員から日本に行ったらこういう説明をしなさいと教え込まれていました。でも、言わなくて済みました。私たちが止めましたから。

西岡

飛行機の中から五人と指導員を別々にして、さらに、指導員の宿泊しているホテルには、マスコミの人たちに「あの人たちはメディアスクラムにあっても構わないんだからどんどん取材に行ってくれ」と頼んで、カメラで二十四時間追っかけ回してもらったんです。

中山

マスコミも協力してくださいました。

西岡

帰国翌日の十月十六日朝、蓮池薫さんが「指導員に連絡したい」って言ったんです。そうしたら中山先生が「いいのよ、私たちが連絡しとくから」とおっしゃって…。

中山

五人には携帯電話も渡さなかった。

西岡

そう。一方で指導員たちが朝鮮総連を介して、レンタルの携帯電話を持ったという情報もあった。そこで、五人の家族には、実家に戻った後も、「本人には携帯電話を持たさないでください。固定にかかってきた電話もまず家族が取って確認できた人とだけ話させてください」とお願いした。そして本人たちには「マスコミが大変ですから」と言って、指導員に接触をさせなかった。

十月十七日にそれぞれの故郷に帰ったのですが、私は地村保志さんに付いて一緒に自宅に泊まりました。地村さんはお兄さんと二階で酒を飲み、私は隣の部屋で、お父さんは一階で寝ていました。そうしたら、お兄さんが夜中の三時ごろ私のいた部屋にきて、「弟が、日本政府が守ってくれるなら日本に残りたいと言っています」と言ったのです。 

地村さんたちは、指導員から離れて、自宅に帰って、安心感が生まれて、ようやく本心を口にすることができた。しかも、マスコミの応対をするお父さんは警戒して、お兄さんにだけ本心をしゃべった。彼らは実によく状況を見ていたんです。

ところが、この合意文書に従えば、日本人生存者が・発見・された場合、北朝鮮で去就を協議する、本人の意思を聞きましょうということになる。そこで日本政府代表団が「帰りますか」と尋ねても、「帰らない」としか言えないでしょう。

中山

「帰らないと言いなさい」と指導されていますから。小泉総理がジェンキンスさんを説得したとき、ジェンキンスさんは「なぜひとみを連れてこなかったのか」と、また二人のお嬢さんは「なぜ今日母親を連れてきてくれなかったのか」と繰り返し言い続けていたそうです。長年監視され、指導されている被害者は、指導と違うことはひと言も言えないんです。

西岡

そうですね。

中山

被害者達は、もし日本に帰るなどと言ったら何時間後かには殺されると考えているわけです。そういう実態を知っていれば、外務省への私の質問に「《帰国させる方向で》という単語を入れさせました」などという答えが返ってくることはありえません。たとえば政府の拉致対策本部のメンバーで北朝鮮の情勢をよく知っている情報関係者と打ち合わせをしながら北と協議していれば、こんな合意文書は出てくるはずはないと思います。

交渉維持が目的化していないか

西岡

七月一日に北朝鮮側から特別調査委員会の設置が通報されたことを受けて、日本は、人的往来規制、送金などへの規制、北朝鮮船舶入港規制(人道物資運搬に限り規制解除)の3つの制裁を解除しました。

それ以降、多くのマスコミ報道が「特別調査委員会は、国家最高機関である国防委員会から権限を付与され、秘密警察である国家安全保衛部も調査に加わっている」のであるから、期待できるという論調になっています。

特に、今回の日朝協議には国家安全保衛部幹部が継続して参加していて、その人物は金正恩に直結している、二〇〇二年九月に金正日が拉致を認めて五人を返したときも同じように国家安全保衛部幹部が参加していた、などと盛んに報じられ、あたかも、よい結果が出る可能性が高いかのような雰囲気が作られています。私は、これは悪質な日本世論を歪める謀略工作がなされていると考えています。

まず、今回の協議は保衛部ではなく、先述した朝鮮労働党の工作機関である統一戦線部が管轄しています。彼らは張成沢の被害者全員帰国という方針に反対してきました。つまり彼らは政府の認定拉致被害者十七人のうち帰国した五人をのぞく十二人について、「八人死亡、四人未入境」とした二〇〇二年の虚偽説明を維持しようとしてきた勢力です。

さらに特別調査委は北朝鮮の最高指導機関である国防委員会から権限を付与されているといいますが、社会主義国家という体制からすれば、まったく意味をなしません。いろいろなところで繰り返し言ってきましたが、国防委員会は国家機関に過ぎず、北朝鮮では労働党のほうが上位機関なのです。そして拉致をしたのも党の工作機関である作戦部、調査部、連絡部、統一戦線部なのです。

中山

特別調査委には、その肝心の党が入っていません。

西岡

そしてもう一つ。特別調査委に設置する四つの分科会(拉致被害者▽行方不明者▽日本人遺骨問題▽残留日本人・配偶者)のうち、拉致に関する分科会にだけ保健省が入っているのです。病院を管轄する政府機関がなぜ入らねばならないのか。

二〇〇二年に被害者五人が帰国したとき、八人は死亡したと彼らは言いました。そのとき、根拠として「死亡確認書(日本でいう死亡診断書)」なる書類を出してきたのですが、それはニセモノだったということが分かっています。八人の内七人は死亡したという場所がバラバラなのに、確認書はすべて平壌市内の同じ病院で発行されている。

中山

押してある印鑑の欠けている部分まで同じでしたから。

西岡

死亡確認書偽造の証拠を日本はオープンにしていますから、今度は保健省の倉庫に本物がありましたというために保健省を入れてきたのかもしれない。さらには、生きている人を殺して遺骨をつくるという危険性も考えられる。私は繰り返し外務省に「被害者を殺すということをさせないためにも、日本は生存情報を持っている、そして日本のDNA鑑定技術は世界一で、死亡時期も分かるのだということを北に伝えているのか」と確認しています。

それに対して、「被害者の安全は絶対優先だと言っています」という答えは返ってきます。しかし中山先生がおっしゃるように、外務省が今回の協議は相手の言い分にすり合わせるように進めているような気がしてなりません。

合意文書をみると、実際に国交正常化まで行かなくても、北朝鮮が日本からお金を取れるような仕組みがいろいろ盛り込まれています。その一つが、人道支援の実施検討です。

中山

人道支援実施の前提となる条件も時期も書いていませんね。「適切な時期に」という、非常に外交的な言葉があるだけです。

西岡

日本はなぜ、北朝鮮への人道支援を止めたのか。二〇〇四年に横田めぐみさんのニセの遺骨を日本に出してくるという、極めて非人道的なことをやったからです。ですから、今回は「二〇〇四年の説明を北朝鮮が撤回したのちには」という条件は書いてもいいはずです。

拉致被害者救出は犯人と警察との交渉であって、何人か出てくればいいというものではない。被害者全員の安安全確保と全員救出は譲れないのです。「100対0」であって、「60対40」はあり得ない。

外務省が一概に悪いと言うつもりはありませんが、彼らは、交渉が始まった後で強硬なことを言うとパイプが切れてしまうとしきりに言うのです。せっかく北朝鮮が再調査すると言ってきた、ここまで来たんだから、このパイプを切らないほうがいい、と。伊原純一アジア大洋州局長が今回の北の特別調査委員会の設置と日本の制裁解除について救う会や拉致議連などに説明したときに、「再調査で被害者は全員死んでいたなどという変な結果が出てきたら、当然、今回の制裁解除は停止して再制裁しますよね」と質問しても、「それを今の時期に言わないほうがいいと思います」としか答えなかった。二〇〇二年の五人帰国のときの田中均アジア大洋州局長もそうでしたよね。

中山

とにかく北との関係が悪くなることだけは避けて、ことを進めるという姿勢でした。「そんなことを言ったら北朝鮮は怒りますよ。全て引っ込めますよ」という姿勢です。なぜ当然のことが言えないのか不思議でした。平壌空港に五人を迎えに行ったときの話ですが、北朝鮮側は五人を送り出してあげるというお祝いの席のような雰囲気で、日本側も五人を日本に・派遣・してくれて感謝しているというムードだったのです。北側の代表は「今回は日本との関係で五人を送り出すことができる」と外交的な喜びのあいさつをしました。日本側であいさつした私には、「今日は五人を日本に送っていただきありがとうございます」という話が求められていたのでしょう。しかし、私は「日本では、この五人以外の人たちが死亡した、あるいは北朝鮮に来てないという話を信じている人は一人もいません。拉致はこれからもいろいろご相談しないといけない問題であり、今回で終わりにすることは決してありません」と言ったのです。

まず日本側の席が、しれーっとなりました。通訳の間を置いて、次は北側がピーンとこわばった感じになりました。なんとも居心地の悪い場になったのですが、だからといって五人の帰国が中止になったわけではありません。

日本が主張しなければいけないことを主張すれば、逆に北朝鮮側もそれにどう対応するかを真剣に考えるのです。それなのに日本の外務省は、北朝鮮が何を考えているのか、あるいは北が受け容れるのはどんな条件かということをまず探るという心構えでいる。日本として主張しなければならないこと、被害者全員を帰国させよという要求を伝えていないのではないかとすら思えてきます。

西岡

北朝鮮側も、なんらかの目的を持って日本に接近してきているのです。前回は金正日、今回は金正恩から、日本から何かを取れと指示されて接近してきているのですから、交渉当事者も弱い立場なのです。席を立つ権限は与えられていない。指示された成果を上げられなかったら粛清されるかもしれない。その点は経験上も裏付けられています。

二〇〇二年の五人のケースでいえば、本人たちから「日本政府が守ってくれるなら残りたい」という秘密の意思表示がある一方で、田中局長は五人を北朝鮮に戻さないと交渉のパイプが切れると反対して大論争になった。

金正日が拉致を認めて謝罪したのに、日本からお金を取れなかったら交渉当事者の大失態です。彼らもお金を取るためにはどこまでも日本と交渉をせざるを得ない立場であって、交渉が始まっているということは向こうにも弱みがあるということなのです。

そこを考えずに、パイプの維持という罠にはまってしまうという危険が今後もあると思うのです。

北のウソと対決する覚悟を

西岡

私は民間ですけれども、死亡したと言っている八人の被害者について、少なくとも主要な人たちについては生存しているというほぼ確実な情報を持っています。日本政府も持っているはずです。第一次安倍政権のときも、めぐみさんが死んだとされた94年より後の生存情報を持っていて、それを前提に交渉されていましたよね。

中山

そうです。

西岡

最悪の場合は生きている被害者を殺してしまうかもしれない、あるいはそこまでいかなくても一部しか生存情報を出さずに他の人は死んだという虚偽情報を伝えてきたときに、全員が生存しているということを前提に交渉ができるのか。北朝鮮からの一回目の通報では、秘密を多く知っていて北朝鮮からすると最も生存を公表したくない横田めぐみさんや田口八重子さんが生きていると言うとは思えません。また何か嘘をついてくると思いますが、そのときに「北朝鮮がせっかく再調査してくれたのだから、パイプが切れないようにとりあえず受け入れよう」と対応するのか、「われわれは生存情報を持っているんだ。このような嘘は受け入れられない」と反論するのか。そこが救出の成否の分かれ目になるのではないでしょうか。

中山

五月の合意の前には、北朝鮮側も相当真剣に対応しようとしているらしいという話が伝わってきていました。ところが、合意後、北は、思っていたより低いレベルの結果でも日本は認めるかもしれないと緩んだ見方をしているという情報もあります。日本の世論は、被害者全員を返さなかったら日朝関係を進めることを決して許さないということを真剣に北朝鮮に伝えれば、北朝鮮はそれに応じて動くはずです。

西岡先生がとても心配されているように、日本側が中途半端に妥協すれば、拉致被害者たちを亡き者にしてしまう可能性もあり、非常に危険な状況に今なっている。しかし、日本の世論が中途半端な妥協に納得するとは思いません。

再調査の推移によっては、日本と北朝鮮の関係は一気に動き出す可能性もあります。厳しいことばかり言っていますが、被害者全員が帰ってきて日朝関係がよくなることを願うがゆえなのです。

西岡

いろいろ問題はありますが、北朝鮮は日本政府が認定している拉致被害者八人それぞれについて入境からの経緯を調査し、確認すると約束した。この約束を取ったことは成果だと思います。そして調査の結果を伝えてくるわけです。

これまでの長い膠着状態から勝負のときへと状況は変わったのです。八人について、北はわれわれが把握している情報もすべて分析したうえで何か出してくる。それが新たな内容を盛り込んだうえでの「死亡」という主張なのか、二〇〇二年の金正日の説明を覆す結論になるのか予断は許しません。調査といっても被害者は彼らが管理してきたわけですから、問題は北の決断にかかっている。今、日本に必要なのは、外務省も拉致対策本部も与党も野党も、そして国民も「全被害者を返すという以外の選択をすれば、あなたたちの立場は悪くなり、国交交渉も進みませんよ」というメッセージを、どこを切っても同じ金太郎飴のように発信することだと思っています。

中山

実は二〇〇六年のミサイル発射に対する国連制裁実施時に日本が独自にかけた対北制裁は、北朝鮮側、つまり金正日総書記に拉致被害者帰国の決断を促すため、という位置づけでした。当時の議論はそうです。ところがいま外務省は、日朝交渉や協議を途切らせないためだけに「制裁解除」のカードを使っていいと解釈をしているように見えます。本来の位置づけとは違います。

交渉を続けるためだけであれば、別の手段や手法を考えるべきなのです。もちろん、金正恩第一書記の何らかの決断の証拠が示されたことで制裁を解除したのであれば納得できます。一部で報道されている生存者リストの提示などです。

西岡

私は、それはまだないのではないかと思っています。拉致認定被害者の八人について何か情報を出すと北が約束したことに対して、小さな制裁解除をしたという状況だと思っています。だからこそ、「八人について出してくる結果がひどければ、再制裁しますよ」と釘を刺さなければならない。

中山

でも外務省は北朝鮮に対し再制裁しますとは言わない。

西岡

安倍総理は言っているんです。七月六日付紙面で掲載された読売新聞との単独インタビューで、北朝鮮の対応に問題があれば再び制裁を科す可能性があると言及しています。「制裁は、かける時と解除する時、カードとして二回使える。『制裁解除』というカードは、いつでも、制裁をかけている状態に戻せる」とはっきり語っている。一方で、たとえばコメなどの人道支援については、「こちらが何か出してしまったら、北朝鮮が約束を履行しなかったとしてもカードは戻ってこない」とも言っている。外務省は「せっかく北朝鮮に再調査委員会がつくられたのだから」と言いますけど、まだ誰も帰ってきてない。「せっかく」などと言えるレベルではないんです。

中山

外務省が心配しているのは交渉が途切れることであって、被害者を救出できるかどうかではないようです。

西岡

北朝鮮側にモノを言うのではなく、日本側、被害者側に向かって、パイプを守るために制裁解除が必要だと言うようになってしまう。

中山

北朝鮮から、金第一書記が決断したという証拠を提示されているのではないとすると、日本として非常に弱い立場の交渉になっているということです。ですから、私は何らかの証しを得た上で制裁を解除したのだろうと考えています。

西岡

八月中旬の時点で、水面下の交渉が少し膠着状態になっていると聞いています。平壌に調査の状況を調べに行く、あるいは平壌に日本人スタッフの駐在事務所を置くという計画が延期されている。もしかしたら水面下の交渉で日本側が相当頑張っているのではないかという感触も持っています。

というのも実は、安倍首相から外務省に、次の三点を交渉方針とするよう指示されているからです。第一は拉致を最優先させること、第二は被害者の安全確保。そして第三点が一括解決です。といっても遺骨や日本人妻の問題を含めての「一括」ではなく、拉致問題の一括解決です。北朝鮮から認定被害者の一人か二人かが入っている生存者情報が伝えられたという報道もありましたが、そのようなレベルではダメだということです。北朝鮮からの調査報告が遅れることを恐れて、首相が指示した「拉致最優先」「安全確保」「一括解決」の原則を譲ってはならないのです。北朝鮮から何か情報が出てくる。そのとき北とのパイプの維持ではなく、全被害者を取り戻すという観点からその情報を評価し、拒否するときは拒否するという覚悟を決めていただきたいと思っています。

中山

西岡先生も同じだと思いますが、二〇〇二年の拉致被害者五人帰国のとき、官房副長官だった安倍総理と一緒に行動してから、総理のことは非常に強く信頼申し上げてきました。安倍総理は必ず全員救出という考えで進んでくださるはずです。そして安倍政権のいまが、被害者帰国を実現できる可能性が一番強いとも思っています。そんな思いから辛口なもの言いをしましたが、今回の再調査にも相当程度のチャンスはあると見えますので、周囲がミスリードして中途半端にことを進めるということがないよう、きちんと被害者を救出していただきたいと思います。

中山恭子氏
昭和15(1940)年、東京生まれ。東京大学卒。大蔵省入省。同省初の女性課長や初の女性地方支分部局長を務め、平成5年に退官。ウズベキスタン兼タジキスタン特命全権大使、首相補佐官など歴任。19年、参院選に自民党比例区から出馬し当選。拉致問題担当相など歴任。その後、たちあがれ日本、日本維新の会を経て次世代の党に所属。著書に『国想い 夢紡ぎ』など。
西岡力氏
昭和31(1956)年、東京都生まれ。国際基督教大学卒。筑波大学大学院地域研究科東アジアコース修士課程修了。在ソウル日本大使館専門研究員などを歴任。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)会長。著書に『韓国分裂』(扶桑社)、『金賢姫からの手紙』『よくわかる慰安婦問題』(ともに草思社)など多数。


投稿日時: 2014/9/12

事態を動かした日朝それぞれの「環境変化」
  小泉元総理が時の金正日総書記に強く要求したことに端を発する、北朝鮮による拉致被害者の「再調査」を巡る日朝両国の正式な協議は、二〇〇八年九月の福田内閣退陣以降、頓挫した形になっていました。政権交代がちらつく日本の政治の混乱を見て取った北朝鮮政府が、交渉の場から「引いて」しまったからです。ですから五月二十九日に拉致問題に関する「日朝合意文書」が発表され、正式協議が再開したことは、この問題に関する久々の前進と受け取られています。
  実は昨年あたりから、北朝鮮が日本との接触を強めてくるのではないか、拉致問題解決に向けたチャンスが巡ってくるのではないか、という見方が、関係者の間でも出ていました。最高幹部であった張成沢氏の処刑以降、北朝鮮と中国とのつながりは、さらに険しいものになりました。ロシアとも極めて良好な間柄とは言えないし、米国には「ならず者国家」のレッテルを貼られたままで、決して枕を高くして寝られる状況にはありません。そうした対外環境の変化、現状認識を背景に、北朝鮮側に日本との関係を再構築したい、という思惑が働いたのは確かだろうと考えます。
  拉致問題の解決を展望した時、北朝鮮自身の大きな「変化」も考慮しておく必要があるでしょう。二〇一一年に、金正日氏から金正恩氏への「政権交代」が行われました。正恩氏が父の政治路線を継承するとしても、日本人の拉致自体は彼が指示したものでないのも事実です。今の最高指導者は、父親とは違うスタンスでこの問題に臨むことも、やろうと思えばできるわけです。
  日本でも民主党政権が倒れ、拉致問題の解決に強い意欲を見せる安倍内閣が誕生しました。事態を動かせる客観的な条件は確実に広がったと言っていい。ある意味、非常に大きなチャンスです。ようやく始まった協議をしっかり進めていく必要があるのは、言うまでもありません。
  ただし、残念ながら手放しで喜べない現実も、見ておかなければなりません。今回の「合意」について、「二〇〇二年の『平壌宣言』とどこが違うのか?」という質問を受けます。あの文書を一読した私の印象は、「ベースに流れているものは、『宣言』と変わらない」というものでした。実はそこが大問題なのです。
  ご存じのように、北朝鮮による拉致というのは、一九六〇年中頃から八〇年代にかけて、罪のない日本の若者がいきなり拘束され、無理やり連れ去られた事件です。日本の国家主権、国民の生命と安全に関わる重大問題で、この根本解決なしに、日朝両国の正常な外交関係など、ありえません。まず拉致された人々の状況をすべて明らかにし、生存者を全員救出し、その後、国交正常化に向けたステップを踏んでいく、というのが国際社会での基本原則です。


敗戦後の日本外交を象徴
  ところが第一次小泉訪朝の時に、両国が交わした「平壌宣言」では、政府の為すべき課題は日朝国交正常化であり、そのためには、拉致被害者が犠牲になっても致し方ないという姿勢が鮮明に表れていました。「双方は日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために真摯に協議を行った」という書き出しで始まる今回の「合意」も、それと何ら変わるところがありません。やはり拉致問題は、「懸案事項」のワン・オブ・ゼムの位置づけにとどまっています。「ベースが変わっていない」というのは、そういう意味です。
  それにしても、外交関係者がこれほどまでに北朝鮮との国交正常化を急ごうとするのは、なぜなのか? 北朝鮮は、近隣諸国の中で日本が承認していない、唯一の国です。戦後、すべての国と国交を樹立するという「至上命題」を自らに課してきた外務省にすれば、文字通り最後の関門。そこを突破して、積年の目標を達成したいという思いが、抜き難くあるのでしょう。
  しかし、そんな「使命感」に駆られた結果、自国民の安全を守るという外交の基本が歪められてしまったら、本末転倒と言われても仕方ありません。「平壌宣言」と、そして今度の「日朝合意」の底流にある考え方、それは、自国を守る、自国民を守ると言えなかった敗戦後の日本外交を象徴しているものといえましょう。

事件をうやむやにし幕引きを図る?
  「日朝合意」の問題点を、いくつか具体的に述べてみたいと思います。
  文書では、拉致問題について、「北朝鮮側は(中略)すべての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施し、最終的に、日本人に関する全ての問題を解決する意思を表明した」とされました。その言や良し、ですけれど、これは「今回やるのが『最終的』な調査ですよ。これで日本人拉致被害者に関する問題は打ち止めです」と読めます。「包括的な調査」の結果、被害者家族や国民が完全に納得のいく成果が得られるのならいいのですが、その保証はありません。
  たとえば、前回の調査で「自殺した」とされた横田めぐみさん。北朝鮮側からは、入院していた病院の裏庭で、木の枝に紐をかけて首を吊った、という説明がされました。ところが、日本の調査団がその病院まで行き、院長にどの木か尋ねたところ、指差した先には人間の体重を支えられるような枝のある木はなく、周辺の樹木も同様だったそう。彼女に関しては、病院の「入退院」台帳を「死亡」台帳と書き換えているなど、説明を信じろというのが無理な状態でした。「死亡した」とされた他の拉致被害者についても似たり寄ったりで、その信憑性には全く信を置けないものでした。今回、もし北朝鮮が同じようなずさんな「調査結果」を示したうえで幕引きを図ろうとした場合、国交正常化を最優先に考える外交筋が妥協してしまう恐れはないか。あの文書を読んで真っ先に感じた心配は、まさにそのことでした。
  今回の調査に当たって北朝鮮は、「特別の権限(全ての機関を対象とした調査を行うことのできる権限)が付与された特別調査委員会を立ち上げる」と合意文書で表明し、実行しました。従来なかった動きだと期待を表明する論調もありますが、これも頭から信じるのは危険です。
  たとえば、調査委員会のトップに就いた徐大河という人物には「国防委員会安全担当参事兼国家安全保衛部副部長」という長い肩書が付いています。でも、今までどんなキャリアを積んできた人物なのか、日本人拉致問題の調査責任者としてふさわしいのは何故か、といった詳しい説明は一切ありません。北朝鮮は肩書など、勝手に作れる国であることを、忘れてはなりません。
  そもそも拉致被害者は、完全に北朝鮮政府の管理下に置かれており、「日本に帰りたい」などと発言できない環境に、縛り付けられているのが実情です。また今回の「合意」では、北朝鮮は被害者の「調査の状況を日本側に随時通報し、調査の過程において日本人の生存者が発見される場合には、その状況を日本側に伝え、帰国させる方向で去就の問題に関して協議し、措置を講じる」となっています。しかし、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんは、二〇〇四年、平壌で小泉総理(当時)から「日本に一緒に行きましょう」と強く説得された時、「その場で日本に行きたいとはけっして言えなかった。その時、日本に行きたいと答えていたら、直後に自分は殺されていただろう」と話していました。
  今回の合意文書を読んだジェンキンスさんは、「拉致被害者が『北朝鮮の人と結婚して子どもも生まれているので離れたくない』と言っていると、北朝鮮が説明したり、そう言わせるように仕向けたりするだろう」と新聞のインタビューに答えました。まったくその通りだ、と私も思います。被害者が発見された場合には、日本政府関係者が速やかに面会し、人定確認のうえ、ただちに日本に帰国させなければなりません。
  被害者は北朝鮮では自由な発言はまったくできないということをしっかり認識し、まず日本に帰国させ、去就は日本に帰国してから時間をかけて決めればいいことです。
ちなみに、外務省にその点を質したところ、「『帰国させる方向で』という文言を入れさせました」という答えでした。私が北の当局者だったら、そのくらいの言葉は喜んで入れるでしょう。
  これでは、被害者が見つかっても実際には帰ってこないこととなります。そのことに合意したのは、やはり大きな問題であると考えます。
 「身の安全の確保」は、喫緊の課題
以上述べてきたような問題意識を基に、七月四日、超党派の「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(平沼赳夫会長)は、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」などと連名で、安倍晋三総理に対する申し入れを行いました。「北朝鮮との協議にあたっては、段階的に期限を設定するなど、北朝鮮側が全ての拉致被害者を帰国させるとの決断が為されているのかについて日々、確認をしつつ、十分慎重な判断と対応をしていただくこと」を、あらためてお願いしたものです。
  二〇〇二年に私が拉致被害者家族担当の内閣官房参与に就任した時、安倍総理は官房副長官でした。〇六年の第一次安倍内閣では、拉致問題担当の総理補佐官としてお仕えしました。その時の経験からしても、その後の発言を伺っても、安倍総理ご自身がこの問題に正面から取り組む意志をお持ちなのは、私にはよくわかっています。
  ただ、総理大臣がすべての文書に目を通すわけではありません。「外」にいるから気づけることもあります。今後も、平沼会長を中心に、必要だと思われる事柄については、問題提起を行っていきたいと考えています。
  ところで、今回の「申し入れ」には、あえて「被害者全員の安全確保」についての要請を盛り込みました。私たちが今一番恐れているのは、日本政府から調査を求められた北朝鮮が、被害者を選別し、結果を意図的に「つくる」こと。はっきり言えば、日本に帰られては都合の悪い生存者に危害を加えないか、ということなのです。
  交渉は、常に「最悪の事態」を想定し、そんなことが起こらないように配慮しながら進めなければなりません。関係者は「日本のDNA鑑定技術は世界一で、死亡時期も特定できる」という情報発信を行っています。政府レベルでも常に北朝鮮側に警告を発しながら、救出に向けて動いていただきたいと思っています。

国交正常化の条件は何か

  当然のことながら、私自身、北朝鮮との国交正常化を望んでいます。問題は、「どんな状況になったら、それが果たせるのか」です。
  私は、金正恩第一書記以下、北朝鮮政府が、拉致してきた日本人の状況を完全に明らかにし、生存者については無条件で日本に帰す決断をし、その作業を始めた時点で、初めて具体的な交渉に入れるのではないか、と考えています。北朝鮮が「すべての日本人を帰す」という決断をすれば、それは必ず我々のほうに伝わってきます。ところが、何度も申し上げるように、今回の「日朝合意」では、そうした意志を確認することができません。
  日本人の誰と誰を連れ去り、その人たちは今どこでどうしているのか─。日本では知りえない被害者の状況を、北朝鮮はあらためて調査するまでもなく、すべて把握しているはずです。そのリストの提出を要求し、北朝鮮が明確に答えるか否かで、北朝鮮の本気度を測れるのではないでしょうか。今、日本政府がやるべきことは、被害者の現況リストを強く要求することであると思うのです。
  北朝鮮に対する制裁の解除も、そうした相手の意思を見届けてから実行すべきでしたが今回、北朝鮮の特別調査委員会設置に伴って、政府は人的往来の規制、携帯輸出届出の金額の規制、人道目的の北朝鮮籍船舶の日本への入港禁止という三点の制裁解除を決めました。国連の制裁に加えて、日本が独自に対北朝鮮制裁を行ってきたのは、拉致被害者を日本に帰国させるという北朝鮮の決断を促すためのものだったはず。「国交正常化交渉」を継続する手段のために使うものではないと思います。解除を決めたということは、政府は、公表はできないがリストを受け取ったと考えることもできます。もしリストも得ていないのであれば、やはり憂慮の念に堪えません。
  とはいえ、現実に制裁が解除された以上、北朝鮮が約束を実行するように、より注視してその動きを見ていかなければなりません。「申し入れ」にも書かれていますが、仮に誠意ある回答を出さない場合は、制裁をより強く復活させるのは当然ですし、そうした日本側の意志を明確に伝えて、交渉に臨むべきだろうと思います。
  冒頭で述べましたように、北朝鮮の事情を考えるならば、拉致問題の抜本的な解決に向けた客観条件が、近年になく整いつつあるのは確かなことです。国交正常化の陰に埋もれさせずに、拉致被害者救出に向けて、政府は最強の交渉をすべきです。今、まさにチャンスなのですから。そして必ずや成果を勝ち取るうえで最も大事なのは、世論の力にほかなりません。そこが独裁国家、北朝鮮との決定的な違いです。
  人質にしろ拉致にしろ、自らの意思とは関係なく他国に連れ去られた人間がいたら無条件で元に戻す、原状回復を図る、というのは、国際社会の常識です。不幸にも異国で亡くなったのなら、遺骨を家族の元へ返してもらわなくてはなりません。
  今この瞬間にも、自由にものも言えず、自由に行動することもできず、監禁状態に置かれ、もしかすると体調を崩しながらも、救出の手を待ちわびている日本人がいます。巡ってきた「チャンス」を無にしないためにも、もう一度この問題への関心を高め、支援の声を上げてほしいと思うのです。


投稿日時: 2014/8/26

【正論】「8・15」に思う

 国家の役割見据え拉致解決せよ 元拉致問題担当相、参議院議員・中山恭子

 北朝鮮による日本人拉致の問題が、拉致被害者の再調査をめぐる日朝合意から、再調査を行う北朝鮮の特別調査委員会の設置、そして、日本独自の対北制裁の一部解除へと急展開している。
 昨年月の張成沢氏粛清後、孤立を深める北の状況から見て、今こそ拉致問題を進展させる大きなチャンスであり、戦略的で力強い交渉が期待される。
 ≪全被害者の帰還を念じて≫
 「横田滋さんと早紀江さんが自らの手で、めぐみさんを抱きしめる日が来るまで私の使命は終わらない」と語った安倍晋三首相の熱意に敬意を表し、全ての被害者が一刻も早く日本の土を踏むことを希求している。
 合意文書には、根底に流れる考え方が2002年日朝平壌宣言と同じだとの危惧の念も抱く。当時も今回も目的が国交正常化にあるという点だ。国交正常化のためには拉致被害者が犠牲になっても致し方ないとの考え方である。
 対北制裁措置は北が全ての被害者を帰国させるとの決断を迫るために科している措置であり、制裁解除を行うのであれば北が被害者を帰国させる決断をしたという証が必要だ。それは北が拉致被害者の名前、現状などを提示することで確認できる。被害者は常に監視され、今どこで何をしているかまで北は把握しており、全ての被害者を帰国させる決断があれば直ぐにリストの提示はできる筈だ。
 政府が一部であれ制裁を解除したということは、リストを入手したと期待できる。もしそのリストに、2002年小泉純一郎首相訪朝時、死亡又は未入境とされた被害者の名が載っていない場合には、生存が確信される被害者の帰国を強く要求し、北を説得し続けなければならない。
 また、政府は被害者の安全確保を要求すべきである。北は被害者の生殺与奪権を握っており、帰国されては都合の悪い生存者に危害が及ぶ可能性も否定できない。
 ≪制裁強化の警告忘れるな≫
 政府は、常に最悪の事態を想定し、そうならないように、北に対し、被害者の生存情報を把握していること、日本のDNA鑑定技術は世界一であること、彼らに危害があれば、国際社会で、北の「最高尊厳」が深刻なダメージを受けること、日本は一層厳しい制裁を科す用意があることを、あらゆるルートで北に伝えるべきだ。
 合意文書には、「日本人の生存者が発見される場合には、帰国させる方向で去就の問題に関して協議し」とある。これでは、被害者が見つかっても帰国できない可能性が高い。曽我ひとみさんの夫、ジェンキンス氏は、「第2回首脳会談の際、平壌で、小泉首相から『日本に一緒に行きましょう』と強く説得されたが、その場で『一緒に行きたい』とは言えなかった。日本に行きたいと答えていたら、直後に自分は殺されていただろう」と述べていた。
 被害者は、北朝鮮の中では常時監視されており、「日本に帰国したい」と決して言えない状況にあり、被害者が発見されたと報告を受けた場合は直ちに帰国させ、自由な意思決定ができる環境の中でその後について考えれば良い。
 ≪領土と国民守る国家意思≫
 駐ウズベキスタン兼タジキスタン大使だった1999年、イスラム原理主義組織がキルギスで日本人鉱山技師4人を拉致し直後にタジキスタンに移動した。日本人が他国で被害に遭ったときは、「発生国に全てをお任せ」というのが戦後日本の外交であり、ウズベキスタン大使館への指示も「情報収集」のみだった。しかし犯人も人質も存在していないキルギス政府に救出などできないことは明白であり、正確な情報を持ち犯人グループに対して影響力のあるウズベキスタン、タジキスタン政府の協力が不可欠であった。辞表を胸に独自の判断で救出に当たり、若い館員たちの昼夜をいとわぬ尽力もあって4人を無事救出できた。
 この事件解決の後、中央アジアの中で日本に対する信頼が確たるものになったことを実感した。それは中央アジアの人々がこの地域で日本人が被害に遭ったら、日本は、大使が命がけで救出に当たる国だと分かり、日本に対し大いに安心感を持ったからである。
 国際社会では領土と国民を守るとの国家意思を持っていなければ、他国と友好関係も結べない。国民の生命よりも他国との争いや対立の回避を優先してきた外交姿勢が、拉致を許し多くの被害者を出し未だ解決できない状況を作ったと考える。拉致問題は国家の基本的役割を見失った敗戦後の日本を象徴するものと言えよう。しかし、拉致の実態が明らかになって以降、被害者を取り戻すことは国の責任だと国民も気づき始めた。拉致問題は日本の人々に国家とは何かを思い起こさせてくれた。
 拉致被害者もその家族も高齢化している。一刻の猶予もならない。今この時も救出を待ちわびる被害者全員の帰国を目指しオールジャパン体制で取り組むときだ。(なかやま きょうこ)


投稿日時: 2013/9/13

「「占領の軛」完全に脱するときだ」
 
■「8・15」に思う
「占領の軛」完全に脱するときだ
 
 ≪新たな日本のかたちの礎築け≫
 
 敗戦から68年経(た)つ今夏、日本が戦後の占領の軛(くびき)から未(いま)だ脱していない現実に向き合うとき、占領下で押し付けられた制度や考え方を再点検するとともに戦後の日本の歩みを検証し、日本を再構築しなければならないとの強い思いに駆られる。まずは現行憲法施行から70年を迎える2017年迄(まで)には日本の国柄、日本の心、日本の魂の籠った憲法を日本人の手で作り上げ、次の世代のため新たな日本のかたちの礎を築いておきたい。
 
 併せてインフラ整備も喫緊の課題だ。戦後、先輩たちが懸命につくった上下水道、トンネル、橋などの殆(ほとん)どが老朽化してきている。共同溝敷設の全国展開など必要な公共事業を推進し、次世代が安全で、快適な生活を享受できる国土をつくっておかねばならない。
 
 統治機構も再考の時期にある。地方が十分力を付けてきた現在、県単位で、それぞれの特長を生かした自由な発想で地域づくりをすることが望まれる。農業政策も社会福祉も全国一律ではなく、県ごとに特色を出せば、その県の大きな魅力となり得よう。この場合、道州制は無用であり、県に対し、大幅な権限と予算を委譲することを検討すべきだと考えている。
 
 戦後の占領下で採られた措置の中で11宮家の皇籍離脱、外国人の土地取得に関する勅令の廃止、国際情報機関の廃止などについても至急見直さなければならない。
「家族」の価値の再認識も求められている。現行憲法の第24条は「婚姻は、両性の合意のみに基(もとづ)いて成立し」と定める。憲法制定当時、連合国軍総司令部(GHQ)案に「家族ハ人類社会ノ基底ニシテ」との一文があったが、「わざわざ憲法に書くまでのこともなかろう」と削除されたという。1946年6月に招集された帝国議会で、「家族の尊重」をめぐって議論され、貴族院の特別委員会で、「家族生活はこれを尊重する」との規定を加える修正案が提出されたが、否決された。親子ないし家族生活全体に関わる規定が欠けていることの、後世への影響は当時から懸念されていたのである。
 
 ≪今一度思い起こせ家族力を≫
 
 54年に、自由党憲法調査会長だった後の岸信介首相が家族制度の復活を唱え、79年、当時の大平正芳首相は施政方針演説で「文化の重視、人間性の回復、家庭基盤の充実」などを提唱している。家庭の価値が社会の中で失われていることを懸念したものであろう。
 
 だが残念なことに、個人主義が普遍的で素晴らしいものであるかのごとき思想が日本国内に蔓延(まんえん)して、家族の大切さを主張することは古臭いことと考えられてしまった。24条は、目には見えないものの日本社会に大きなマイナスの影響を与えていると考えている。
無機質の個を基底に置く社会、個人主義の徹底した社会は非常に孤独なものである。家庭は人間にとって生命を繋(つな)ぐ基本単位であると同時に、日本では伝統、文化、道徳、倫理の基盤であった。祖先を祀(まつ)り、血統を尊び、子孫に伝える日本の国柄を作り上げてきた根幹である家族の温かさを今一度、皆で思い起こさねばならない。
 
 行き過ぎた核家族化を是正することも必要である。家庭の力とは若い親だけで担保できるものではない。世代間の助けがあってこそ人間関係も学び、複雑さに耐えることも学ぶだろう。少子高齢化社会に対応するためにも、税制、住宅政策などを通じて、3世代家族を基礎とする社会が望まれる。
 
 ≪子は家庭が育て社会の宝に≫
 
 教育に関しても、家庭、学校、地域社会の三本柱で子供たちを温かく厳しく規律正しく育ててきたわが国の伝統は、「子育ての社会化」という名の下に崩れかけている。「社会が子供を育てる」という思想は、ソ連のコミンテルンの影響が大きいと考えている。個々の能力を大切に磨くのではなく、コルホーズや国営工場で働く労働者として、画一的で規格品のような子供が提供されればよいとの考え方である。「聖職者」として無条件に尊敬の対象だった先生は、コミンテルンの指示を受けた日教組の活動により、賃金労働者となり、小学校の教室では教壇が取り払われ、先生は友達となった。
「子供は社会が育てる」というものではない。家庭が豊かな心をもって、子供の個性を存分に生かして育てるものである。だからこそ、社会の宝となり得るのだ。家庭の力を取り戻し、先生を尊敬し学校を神聖な場として、地域の目が子供たちに注がれる日本本来の社会を再構築せねばならない。
 
 自国の国民の生命財産、国土を守る自立した国家として、また平和を維持し、国際社会から信頼され、国際社会にも貢献できる国家として、日本が存立するために、今、われわれは非常に重要な時を生きている。たった一度の敗戦にいつまでも引きずられていてはいけない。自信をもって、本来の日本の文化、風土に根差した法や制度を打ち立てよう。わが国の文化の底力が発揮されるときだ。(なかやま きょうこ)
 

 


投稿日時: 2013/5/14

■たたずまいの美しい国、日本へ 

独立自存の道義国家」を目指す「国民の憲法」要綱が発表された。一国民としてはむろん、北朝鮮による拉致問題に関わってきた者としても心から歓迎する。

 
 ≪国民を守る国家の意思≫
 
 横田めぐみさんが拉致された1977年当時、日本海側に北朝鮮工作船が頻繁に出没し、警察当局は沿岸警戒態勢を取っていた。北朝鮮工作船の暗号電波を傍受し、協力者宅からは拉致の指示と解析される乱数表も押収されていた。当初から北朝鮮による拉致の疑いが濃厚との情報を得ていながら、何らの対応もしなかった。
 
 なぜか。当時の日本に国家が国民を守るとの基本的な意思が欠落していたからと言えよう。拉致問題は多くの家族に深い悲しみと苦しみを与えながら、三十年余を経てなお解決をみていない。
 
 戦後日本は「情報」は悪との風潮に支配され、国際情報機関を持たぬまま今に至る。「情報」は、武力に訴えずして平和を維持するために必須である。拉致問題に関わっていて、日本が情報機関を備えて各国と交渉できていれば、との痛切な思いがあった。一刻も早く国際情報を扱う組織を創設し、人材を集め育成せねばならない。「独立自存」への第一歩だ。
 
 ≪文化に根差した独自の憲法を≫
 
 今後の日本社会の基本となる憲法は、現行憲法の条文ごとの改正ではなく、日本が育んできた文化に根差した、日本国民自らが熟慮し制定する独自の憲法でなければならない。20世紀、世界を席巻した西洋近代文明があたかも普遍的であるかの如(ごと)く捉えられてきた。日本も西洋文明から多くを取り入れたが、全てが普遍的に正しいわけでもないという点を、改めてじっくりと考える必要がある。
 
敗戦後の日本で、民主主義、多数決、個人主義、人権といった概念は絶対の真実のように考えられた。だが、例えば、個人主義が徹底した社会は非常に孤独な社会になりがちで、決して好ましい社会の有り様(よう)ではない。日本が大切にしてきた家族の温かさ、その何ともいえぬ温(ぬく)もりある社会は長い年月をかけて培ってきたものであり、決して失いたくない。
 
 人権についても、その単語自体はなかったものの、日本人は常に互いに他を思いやり遠慮し合いながら生きてきた。そこには、生きとし生ける者への慈しみの心があり、西洋の人権をはるかに超えた概念が包含されている。
 
 個々の社会、地域が育んできた文化は固有の価値があり、尊重されるべきものである。国際法を遵守(じゅんしゅ)しつつ、法の在り方は各々の文化を基にしたものであってよい。
 
 ハンチントン氏は世界の文明を8つに分け、キリスト教、イスラム教文明と並び日本は一国で一文明を有していると書いた。
 
 日本が長い歴史の中で多種多様の異文化も咀嚼(そしゃく)し熟成させた文化は、豊饒(ほうじょう)さと包容力を誇る。湿潤な風土は、物事を白か黒かで割り切ることのない精神性も育んできた。その日本文化は21世紀、ポストモダンの時代に国際的に大きな存在感を示し平和に貢献し得る。我々は自らの歴史と文化の深みと価値に気付かねばならない。
 
≪道義国家を体現した抑留者≫
 
 大使として3年を過ごしたウズベキスタンの首都タシケントに、ナヴォイ劇場という素晴らしい建築物がある。壁面のプレートに、「45年から46年にかけ極東から強制移送された数百人の日本国民がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と刻まれている。「日本人捕虜」という表現を、91年、ソ連からの独立後初の外交案件として「日本国民」に改めたとカリモフ大統領から伺ったことがある。「日本と戦争したこともなければ日本人を捕虜にした覚えもないから」との理由である。
 
 シベリアに抑留され中央アジアで重労働に従事させられた「日本国民」の働きぶり、生活ぶりは現地の人々に感銘を与え、今も語り継がれている。66年に首都を大地震が襲い、周りの建物は全て崩壊したにもかかわらず、この劇場はびくともしなかったという。
 
 戦争に負け帰国できるかすら分からない中にあってなお、若者達は日本人として恥ずかしくないように陰日向(かげひなた)なく働き、良い物を残した。彼らは各地で任務に就いていた混成部隊である。当時の若者達に、「お天道様が見ている」という教えが家庭や社会を通じて広く浸透していた証左だろう。
 
和を重んじ、家族を大切にし、嘘をつかず、卑怯(ひきょう)を恥とし、清潔に規律正しく暮らす。素朴な徳目を、日本人らしい立ち居振る舞いを、国民一人一人が思い起こし実践することで国全体のたたずまいまで美しくなると信じている。
 
 その意味で「国民の憲法」要綱は示唆に富む。さらに言えば、憲法とは物の根底の事柄を扱うものであり、法律で対応可能な項目はできる限り法律に委ねるのが日本の風土に合致する。西洋の法理論に則(のっと)った多くの条文と章建てを前提とせず、日本独特の雰囲気を湛(たた)える憲法の制定に動き出そう。(なかやま きょうこ)


投稿日時: 2013/3/8

 平成24年度補正予算案を審議する参議院予算委員会において、倍内閣総理大臣ほか各閣僚に対し質問に立ちました。
 26日(火)の締めくくり総括質疑においては、東日本大震災からの復興、日本全体の国土強靭化、美しい街づくりという観点から「共同溝」に焦点を絞って議論。
 27日(水)の外交問題に関する集中審議においては、安倍総理の訪米を受けて、北朝鮮による日本人拉致問題に関して議論を展開しました。


投稿日時: 2013/1/11

 年頭にあたり 参議院議員・中山恭子 「文化のオリンピック」も日本で
2013年の幕が開けた。今、私たちは日本の将来の礎を築く重要な時を生きている。今年こそ日本が真に繁栄し国際的に信頼され尊敬される国家として存立するために何をすべきか、五十年、百年後を見据えた国づくりを大いに議論する年にしなければならない。
 
 ≪発展の鍵は文化的基盤に≫
 
 日本の経済的な繁栄は必須の課題だ。戦後、「経済大国」の地位を謳歌(おうか)するに至った日本は、今は長引く円高デフレ不況に悩まされているものの、インフラ整備の全国展開を軸とした国土強靱(きょうじん)化を実施することで、活力を取り戻すと確信している。
 
 軍事力では、敗戦後67年、占領政策の頸木(くびき)を脱せないでいるが、他国に侵略されない国、自らを自らが守れる国にならなければならない。科学技術や宇宙開発、海洋開発、医療や原子力、農業などの分野でも、世界の最先端の技術を有する国であってほしい。
 
 だが、経済力も軍事力もそれのみでは最後の砦(とりで)になり得ない。人々の幸福と平和を根底で支えるのは文化である。その原点に立ち、「文化のプラットホーム日本」構想を提唱したい。
 
 日本は非西洋の国家としていち早く近代化を遂げた。その鍵は、日本が育んできた文化的基盤の中にこそ見いだし得る。江戸末期の識字率は世界で類を見ない高さであったし、規律正しく品性溢(あふ)れる国民性はこの時期、日本を訪れた外国人が多く記している。
 
 ≪インフラ残した抑留者たち≫
 
 『実語教童子教』という江戸時代に全国の寺子屋で使われた教科書がある。
 
 「山高故不貴 以有樹為貴
 
  人肥故不貴 以有智為貴」と始まる。小学校1年程度の子供たちが学び、庶民の子弟も男女を問わず高水準の教育を受けていた。
 
 ウズベキスタンでは、第二次大戦後にソ連に抑留された日本の若者たちが造った劇場や運河、鉄道、発電所などが今も使われている。彼らは規律、礼儀ともに正しく、陰日向(かげひなた)なく働いたと語り継がれている。帰国の見通しもない中で、日本人として恥ずかしくない物を、と頑張った若者たちは現地の人々に感銘を与え、それが親日感情の基層になっている。
 
 敗戦の焼け跡から繁栄を築いた日本人の強さの根底にも、古来培ってきた文化、風土、国民性がある。例えば、「人をだますな。卑怯(ひきょう)なことをするな。弱い者いじめをするな」といった日々の生活に息づく徳目である。
 
 このような日本の文化をどうすれば国外で理解してもらえるか。世界の人々に日本人のナマの生活に接してもらう以外にない。数十年来、この構想を温めてきた。日本には津々浦々、外国の人、異文化を受け入れる素地がある。日本を世界中の文化が輝き溢れ、交流する場、「文化のプラットホーム」にしようという構想である。
 
 駅のプラットホームをイメージしてほしい。荷物を背負って各地の人々が行き交い、出会う場。そこで文化の化学反応が起き、新しい価値観が生まれる。同様に、異文化を持って訪れる人々が、日本特有の文化を吸収し、逆に刺激を与えてそれを豊かにもし、再び旅立っていけば、日本の風土の中で培われた文化が世界に伝わる。日本固有の、規律正しく、品格ある文化は、「文化のプラットホーム日本」構想を通じて国際的な貢献をなし得るであろう。平和の維持にも繋(つな)がるものだ。
 
 ≪世界の人々の集う場に≫
 
 目玉として、「まつり-Matsuri」プロジェクトを提案したい。春秋の一定期間、日本を世界の文化交流拠点とし、音楽から舞台芸術、伝統芸能、伝統工芸、書道、現代美術、メディア・アート、アニメ、漫画まで、あらゆる分野の第一級の表現者たちを招聘(しょうへい)し、競演の場を提供する。この時期、日本で世界一流の文化に出会えると多くの人々が訪れ、芸術家の卵たちが集えば、その登竜門的な場ともなるであろう。
 
 構想の実現には、政府のみならず、地方公共団体、民間団体との共同行動が不可欠だ。国内にはすでに、小規模行事から芸術祭の形をとるものまで、国際と名のつく事業は少なからずある。そうした既存事業とも連携して、プロジェクトを全土で展開する。“文化のオリンピック”を通じて時代を切り拓(ひら)こうとするこの試みは、世界の文化に寄与するだけでなく、国際的に埋没気味の日本の「存在」をも浮揚させることとなろう。
 
 インフラの整備も欠かせない。地震国ながらも、地震に耐え得る最先端の技術を駆使した安全な街づくりを進めて、世界の人々に安心して日本を訪れてもらわなければならない。
 
 わが国が長い歴史をかけて築き上げてきた文化を、心から誇りに思い、百年先の日本が、思う存分日本らしさを開花させて、豊かで品性のある国家として国際社会での立ち位置を確保するための作業に着手しようではないか。今年をその壮図の元年にしたい。(なかやま きょうこ)


投稿日時: 2013/1/7

12月2日(日)群馬県商工会議所女性会連合会

群馬県商工会議所女性会連合会の会合で、「明るい未来に向けて」と題し講演しました。地域経済を牽引する女性の皆様のパワーは素晴らしい。

11月17日(日)群馬県みどり市での講演

群馬県みどり市で開催された「宙のこえ」の会主催の横田めぐみさん写真展と紙芝居朗読の会に出席し、拉致問題について講演しました。桐生市のボランティア団体「宙(そら)のこえ」の会の皆様は、横田めぐみさんとご家族の苦悩を手作りの紙芝居にして、拉致問題の酷さを多くの人々に伝えて下さっています。

11月4日(日)「庄内ブルーリボンの会」で講演

山形県庄内市に赴き、「救う会庄内」主催の講演会で拉致問題について講演しました。各地の救う会の皆様が、長い年月献身的に活動を継続して下さっています。

 

11月2日(金)日本税関労働組合中央決起集会

日本税関労働組合の中央決起集会に来賓としてお招きを受け出席しました。昭和62年から2年間、成田税関支所長を務めました。水際で日本の安全を守る税関の仕事の重要性を広く理解してほしいと考えています。

10月27日(日) 「騙されるな、日本!」

日本会議東京都本部設立15周年記念大会シンポジウムにおいて、拓殖大学教授の呉善花先生、ノンフィクション作家の川添恵子さんとともに「騙されるな、日本!」と題しパネルディスカッションを行いました。韓国、中国の専門家のお二人と共に、国民性の議論も含め、日本が誇りある独立国家としてどうあるべきか、について考えました。詳細は日本会議発行の月刊「日本の息吹」一月号に掲載されています。


投稿日時: 2012/9/27

9月19日(水)~20日(木)北海道 旭川・東川・当麻へ

小学生時代を過ごした北海道上川郡東川町、両親の実家があった当麻町に伺い、旭川  市も含め計4か所で講演会を開催して頂きました。

また、幼い頃暮らした家のあった地も久方ぶりに訪ねて、爽やかな空気に深呼吸。

元気を頂いて帰京しました。

9月10日 第17回日本文化による国際貢献を考える研究会

 日本文化による国際貢献を考える研究会では、今回建築家で東京大学教授の隈研吾先生
 を講師としてお招きして開催しました。
 中山議員が国際交流基金に勤務していた1995年、ベネチアビエンナーレへの出品の 際に、当時新進気鋭の隈先生が日本館のしつらえを担当され、千住博さんがウォーターフォールで金獅子賞を獲得されたご縁により実現したものです。
 当日は、自然に溶け込む日本の文化に根差した建築論が、世界各地での実績映像とともに紹介されました。
 
 
 

9月4日(火)「文化のプラットホームとしての日本」議員連盟 設立総会

 これまで中山恭子後援会「日本文化による国際貢献を考える研究会」では、17回にわたる講演会を開催し、「世界中の文化が輝き、溢れ、交流する 文化のプラットホーム日本」と題する政策提言を出して活動して参りました。この政策提言に書かれている事項を実現すべく、この度国会の中にも同志を募り、超党派で「文化のプラットホームとしての日本」議員連盟を設立しました。
 会長には、平沼赳夫先生、その他各党から多くの賛同を得て、設立総会を開催しました。
総会当日は、作業部会のメンバーとしてもご尽力頂いた、三重県立美術館長の井上隆邦先生、東京芸術劇場副館長の高萩宏先生に講師としてご参加頂きました。
 
 
 

8月25日(日)拉致被害者救出 県民大集会で新潟へ

新潟で行われた「全ての拉致被害者を救出するぞ 8・25県民大集会」にパネリストとして参加しました。櫻井よしこさんのコーディネートで、平沼赳夫拉致議連会長、安倍晋三元内閣総理大臣、救う会の西岡力会長とともに、議論しました。

8月5日(日) 群馬県沼田市の天狗まつりに参加しました。

活気ある街の様子と、人々の温かさに魅了されました。
 
 

7月31日(火)参議院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会

社会保障と税の一体改革に関する特別委員会で質問に立ち、野田総理大臣に対して、
「終戦の日を前に、戦後の日本をどう評価し、今後の日本をどう描くか」、総理が愛国心を持つことの重要性について質しました。


 
 


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