中山恭子オフィシャルホームページ
 
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投稿日時: 2012/9/17

 ■母の写真見つめたヘギョンさん

 
 10年前の今日、小泉純一郎首相訪朝による日朝首脳会談と、その結果を拉致被害者の家族に伝える様子を自宅のテレビで見ながら、日本政府は「また」同じことをやっている、と慨嘆していたことを思い出す。政府は、「5人生存、8人死亡、他は未入境」と北朝鮮側が言ってきたことを、事実確認もせずに各家族に個別に伝えていた。自国民の生死をも、相手国の言うがままに受け入れる姿勢は戦後日本外交の悲しい現実だ。
 
 ≪キルギス誘拐事件との相似性≫
 
 私は同じ2002年の8月、駐ウズベキスタン兼タジキスタン大使としての3年間の勤務を終え、帰国したばかりであった。着任早々の1999年8月、キルギスの山中で、日本人鉱山技師4人が、イスラム原理主義グループに拉致されるという事件が発生した。
 
 犯人グループは直後に日本人たちを連れて、隣国タジキスタンにある彼らの拠点に移動した。人質を救出するためには、確実な情報を持ち、犯人グループに影響力を持つタジキスタンとウズベキスタンの協力がどうしても必要だということは自明であった。
 
 ところがこの時、外務本省が打ち出したのは、戦後ずっと取られてきた外交方針と同様、「事件発生国キルギス政府に全てお任せする」というものであり、ウズベキスタンの日本大使館には「情報収集のみ」との指示であった。
 
しかし、自分が大使として管轄する国で日本人が人質となり、その命が危険に晒(さら)されているのに、情報収集のみで良いとは到底納得できず、夫、中山成彬からも「日本人の命を守ることが大使の任務だ」と背中を押され、辞表を胸に独自の判断で救出に当たった。
 
 若い館員たちも事態を深刻に受け止めて全精力を注ぎ、発生から64日後、4人はタジキスタン北部山中で無事に保護された。しかし、日本政府の要請で、4人はキルギスで解放されたこととするためキルギスへ運ばれ、同国政府から日本に引き渡されたのだった。
 
 人質救出の過程で、国民の命よりも他国のことを慮(おもんぱか)り、自分たちの責任を逃れようとする外交姿勢に何度、慄然としたことか。10年前の9月17日、あの背筋の凍るような感覚が蘇(よみがえ)る思いだった。
 
 ≪外交の基礎は国民を守ること≫
 
 その10日後、思いもよらず北朝鮮による拉致被害者家族担当の内閣官房参与に任命され、翌月10月15日には、蓮池薫さん、祐木子さん、地村保志さん、富貴恵さん、曽我ひとみさんの5人を平壌に迎えた。一目見て、日本人本来の心、礼儀正しさを失わず、想像を絶する苦労を耐え抜いたが故の強さと優しさを感じた。聞いたところ、北朝鮮からの「出張」命令での訪日であり、日程表には北朝鮮に残してきた子供ら家族へのお土産を買う時間も用意されていた。
 
首脳会談の平壌宣言に「拉致」の文言は入っていない。拉致被害者を帰国させる、取り戻すことは全く考慮されていなかったのだ。
 
 だが、5人は猿轡(さるぐつわ)をはめられ、手足を縛られ、袋詰めにされて無理やり連れて行かれた、犯罪の被害者である。私は、どのような理由であれ、被害者たちを拉致犯の手に再び戻すことがあってはならないと考え、官邸内の会議でそう主張した。
 
 激論の末、10月24日夕、「日本政府が5人を日本に留(とど)める」という政府発表を出すことができた。これまで蔑(ないがし)ろにされてきた、国家の意思として「国民を守る」という当然の考え方が、日本外交に取り入れられた瞬間であった。
 
 ≪被害者全員解放を重要課題に≫
 
 平壌空港で会った横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんの姿は今も目に焼き付いている。鞄(かばん)に入れていた横田早紀江さんの著書『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』を手渡すと、彼女は、日本語は読めないながら表紙にある自分とそっくりなめぐみさんの写真をじっと見つめていた。
 
 あれから10年、25歳となり結婚したと伝えられるキム・ヘギョンさんとめぐみさんが2人揃(そろ)って、もちろん全拉致被害者とともに日本の土を踏むことを必ず実現しなければならない。戦後自国民を守れなかった、守ることを置き去りにしてきた国家の責任である。
 
人質事件では人質を取る側が絶対的に優位だ。北朝鮮では、日本人を帰国させることなど考えていない。5人は今も出張先に留まっているとの位置付けだろう。根底から認識が違うと知るべきだ。
 
 2004年の小泉再訪朝の際、金正日総書記は「起点に戻って調査させよう」と述べた。「拉致被害者が他にもいる、死亡と伝えられた人々が生きている」ことを意味する遺訓である。金正恩体制が遺訓を継ぎ、被害者を解放し帰国させる決断をするよう、あらゆる対策を取る必要がある。新体制の考え方が固まってからでは遅い。
 
 そのためには日本に国民を守る強い意思を持つ安定した政権が必要だ。他国に拉致されている自国民を放置するような国家は国際社会では当然ながら信頼されない。
 
 今この時も救出を待ちわびる拉致被害者の帰還を、政府の最重要課題と位置付けねばならない。(なかやま きょうこ)


投稿日時: 2012/8/13

 終戦67年 参議院議員・中山恭子 戦後シンドロームから目覚めよ

 
大震災から1年余、復興停滞も政治混乱もよそ目に月日は流れ、今年も終戦の日が巡ってくる。
 
「敗戦」の現実に目を背けて
 
 幼時を過ごした東京で、父に抱かれて見上げた夜空に敵機を探す哨戒灯の不気味な閃光(せんこう)が幾つも交差した。疎開した新潟県小千谷市では夜空が朱に染まった。長岡市が空襲で炎上したときだった。小学校に上がる前の夜空の記憶は今も鮮明だ。
 
 都市空襲そして原爆投下。何十万もの無辜(むこ)の市民、子供の命が奪われた。終戦後も、60万もの日本人がシベリアに強制連行され、ソ連各地で重労働に従事させられ、無念のうちに多くの若者達が命を落とした。
 
 同時代を生きた者として、二度と戦争してはならない、巻き込まれてもいけない、平和の維持がいかに大切か子や孫に伝えていかねばならない、それが使命だと思ってきたし、今もそう考えている。
 
 「敗戦」。日本は二度と立ち向かえない国となることを強いられた。しかし我々は、終戦という言葉で「敗戦」という現実から目をそらしてきたのではないか。
 
 東京裁判で、戦争の責任は全て敗戦国日本にあると判断された。さらに根深い問題は、日本人自身がそれをそのまま受け入れ、疑いを持つことすら悪という風潮に支配されてきたことだ。日本人は戦後骨抜きになってしまい、愛国心という言葉すら使えない状況になった。誠に情けないことだ。
 
 戦後日本は、自由主義陣営側に置かれたものの、7年間の占領下で採られた政策は日本人を変質させた。それは徹底した日本弱体化政策であり、憲法制定から、皇室改革、財閥解体、農地解放、教育制度改変、伝統文化の否定、家族解体など、日本の強さの根源であったあらゆる分野に及んだ。天皇制は何とか維持できたものの、連合国軍の皇室改革指令により天皇は象徴天皇となり、多くの皇族が皇籍離脱を余儀なくされた。
 
アインシュタイン称えた家族
 
 日本古来の文化や伝統も徹底して排斥されて、悪だと教え込まれた。小学校では習字の授業がなくなり、文字は記号に過ぎないと教わった。剣道なども禁止され、武道の精神は否定された。個人主義の名の下に家族も崩れていった。憲法第24条は「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」と謳い、連綿と続く祖先への敬慕、社会や地域との繋(つな)がりを薄れさせた。
 
 大正11(1922)年冬、アインシュタイン博士は訪日して、日本の家族の温かさを称賛し、西洋個人主義の孤独を嘆く文章を残している。家族は人生の要、拠り所であり、「家」を大事にするのは、日本の誇れる風土であった。
 
 教育面では、終戦直後からソ連のコミンテルンの指令で勢力を拡大した日本教職員組合の反日・自虐思想を広く植え付ける活動が日本を蝕んできた。聖職者として尊敬された先生が、教育賃金労働者でしかなくなった。
 
 個々の能力の向上ではなく、金太郎飴のような画一的教育が良しとされた。それは、コルホーズや国営企業への労働力提供を目的とする共産主義思想に根差す。昨今のいじめや学級崩壊も、子供に目を注ぐ「師」の存在の希薄化によるところが大きいと考える。
 
国民が自国を愛さぬ国家では
 
 占領が終わった52年の段階で、その7年間の政策について憲法も含め、日本自らが検証し正すべきは正しておかねばならなかった。だが、戦後の日本は、敗戦ショックの大きさゆえに自失して、そのことを考える余裕はなく、自立から目をそらし、経済復興に力を注ぎ、文化や社会の根本に向き合ってこなかった。経済発展で生活も豊かになり、国際的地位も向上したが、戦後シンドロームから抜け出せないまま、今や傾注してきた経済までも輝きを失いつつある。
 
日本が長い歴史の中で培ってきた文化は素晴らしい。湿潤な風土の中で、相手を思いやり、和を尊び、自然と共生する文化。そこには、相手の人格、尊厳を認め尊重する概念が既に内包され、優しさと同時に強さも併せ持つ日本文化の底力がある。一度の敗戦で失うにはあまりに惜しい。
 
 厳しい国際社会で独立国として平和を維持するには多くの努力、エネルギーを要する。自国の領土と国民を守る強い意思を持たず、国民が自国を愛していない国家は、平和と繁栄を維持できずに消滅するというのが国際社会の掟(おきて)である。甘えは許されないのだ。
 
 現状をみれば、日本は未だに、「敗戦病」を引きずり、健全な国家の体を成していない。まず、そのことを自覚し、四囲の環境の厳しさを正視しつつ、占領下の政策を検証し、日本の国柄や古来培ってきた文化を誇りに思い、自立する。その上で、国際社会の一員として貢献し、信頼される国を創っていかねばならない。
 
 敗戦から67年、独立して60年が経(た)つ今、日本国民が覚醒し、日本の自立を取り戻す最後の機会だと考える。時間はあまりない。(なかやま きょうこ)


投稿日時: 2012/7/19

7月14日(土)香川大学地域マネジメント研究科 講義

香川大学大学院地域マネジメント研究科は、地域活性化に貢献する人材の養成を目指して設立された経営系専門職大学院(ビジネススクール)です。中四国地域では唯一のMBAが取得できる大学院だそうです。 大蔵省在職時に四国財務局長として勤務したことから、毎年この時期に講義をしています。 これから社会で活躍しようとする志の高い若人を前に、拉致問題、経済問題、文化交流などについて、思うところを話しました
 

7月2日(月)第16回 日本文化による国際貢献を考える研究会

この度の研究会は俳人の黛まどかさんを講師にお招きし、「引き算の美学」をテーマにお話を伺いました。 アナログ的に移ろう日本の四季、全てを表現しない日本の文化、自然に想いを託す俳句について、被災地で詠まれた句にも触れられながらの内容の濃いご講話でした
 

6月30日(土)救う会秋田 由利本荘地区講演会

秋田県由利本荘市で行われた拉致問題の講演会「身近に潜む拉致の脅威」にお招き頂き、特定失踪者問題調査会の荒木和博代表、明治神宮至誠館の荒谷卓館長とともに、講演しました。 秋田は日本海に長い海岸線を接します。拉致の疑いが濃厚な方もいらっしゃいます。 一日も早い、真相究明、被害者救出が望まれます。

6月23日(土)秋葉原 街頭演説

定期的に行っている、たちあがれ日本青年部の街頭演説に参加しました。 秋葉原では2回目ですが、多くの方が立ち止まって熱心に聴いて下さいました。 

6月17日(日)茨城県常総市 「拉致問題を考える市民のつどい」

 茨城の常総市でたちあがれ日本の党員としてご活躍の小林剛市議会議員のお声かけにより、市議会全会派の後援、協賛を得て「拉致問題を考える市民のつどい」が開催され、講演しました。 一人でも多くの方々に、拉致問題について関心を持ち続けて頂くことこそが、解決への原動力となります。 地道に各地へ赴きたいと思います。
 

6月10日(日) たちあがれ日本女性部 兵庫の集い

兵庫県で、たちあがれ日本女性部の集いが開催され講演しました。 拉致問題への取り組みや、「文化のプラットホーム日本」の政策提言を紹介しながら、日本の経済を立て直し、日本が古来培ってきた文化を基盤として、国際社会から信頼と尊敬を得る、豊かな国を再興したいとの思いを述べました。6月8日(金)には東京で「たちあがれ日本 飛躍の集い」か盛大に開催されました。
結党から2年、政治への信頼を取り戻すために新たな波を起こす時期に来ています。

5月28日(月)行政監視委員会

参議院行政監視委員会で、「地域活性化と行政の役割」をテーマに、前高知県知事・早稲田大学大学院客員教授橋本大二郎氏、宮古市長山本正徳氏及び小布施町長市村良三氏をお招きして、参考人質疑が行われました。 東日本大震災からの復興、日本全体の復興のために、国が地方と連携して事業を行う必要がある旨の意見を述べました。 東日本が世界からたくさんの人々が訪れる安全で美しい地域として復興するよう力を尽くさねばなりません  

 

5月27日(日) 前橋女子高校同窓会東京支部総会

中学高校時代を群馬で過ごし、伊勢崎南中学校を卒業した後、汽車で前橋女子高等学校に通いました。歴史と伝統を誇る女子高校で、教室に入ると正面に、「賢く、強く、明るく」という標語が貼られていました。今は、「気高く」という言葉が加わっているそうです。
毎年の東京支部総会に出席していますが、この度支部長のお役を仰せつかりました。心を込めて務めて参りたいと思っています。

支部長就任あいさつ

4月30日(月)産経新聞 正論 シリーズ私と憲法 に寄稿しました。

「拉致問題に見る国家意識の薄さよ」 産経新聞掲載記事はこちら

4月28日(土) 「すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会」が、日比谷公会堂で開催されました。

拉致被害者、特定失踪者のご家族の皆様とともに、約1000名の人々と、拉致被害者の救出を誓いました。米国からは、中国国内から北朝鮮に拉致された疑いの強い、デイビッド・スネドンさんのご家族が出席されました。

4月24日(火)拉致問題に関して、報道関係者を対象にしたシンポジウムに出席しました。

松原拉致問題担当大臣、横田早紀江さん、増元照明さん、とともに語りました。28日(土)には国民大集会が開催されることもあり、その告知も兼ねて、シンポジウムの様子は「ラジオ時事対 談」(ラジオ日本)で放送されました。 
 

 


投稿日時: 2012/4/30

  「拉致問題に見る国家意識の薄さよ」

 北朝鮮による日本人拉致の問題に取り組む中で、家族を突然奪われて、途方もない悲しみに沈みながらも、冷静さと優しさを失わない多くの被害者家族の方々と出会い、被害者を帰国させなければとの思いで救出に当たってきた。

 
≪なぜ北の工作防げなかったか≫

 戦後20年の頃から、仲間に信頼され、責任感の強い高校生たちが姿を消した。1970年以降は、日本の典型的家庭で日本的な躾(しつけ)をしっかり身に着けた人々が拉致された。印刷工や看護婦など多くの職種の若者たちも姿を消した。

 普通に生活していた人々が、外国から忍び込んだ工作員に袋詰めにされて連れ去られるなどということが各地で起きていたとは、何と情けない国か。なぜ、日本は国民の拉致を防げなかったのか。

 北朝鮮による拉致のことを、ほとんどの日本の人々は知らなかった。知る由もなかった。80年1月7~9日に阿部雅美記者のアベック拉致事件報道が産経新聞1面に載ったにもかかわらず、触らぬ神にたたりなしとでもいうように、他の報道機関が追随することもなく、この問題は沙汰やみになる。97年に家族会が結成され、被害者家族が「娘や息子、兄弟が北朝鮮に拉致されています」と必死で訴えた際も、ごく一部の関係者を除き、行政府も政界も社会も、彼らを厄介者を扱うように門前払いにし注意を払おうとしなかった。

 被害者が北朝鮮にいると分かっていながら、なぜ日本は国を挙げて救出に当たれなかったのか。

 警察組織に欠陥があったのか。国防力が弱いからか。日本社会全体が冷たいものになってしまったからなのか。多くの要因があり、全てが関わっていると考えられ、その遠因に戦後の占領政策と占領下で急ごしらえで作られた現行憲法があると言わざるを得ない。

 もちろん、我々(われわれ)日本人は現行憲法から自由、民主主義、国民主権など多くのものを得た。一方で、占領が終了して独立を果たした後も、経済発展に邁進(まいしん)するあまり、見失ってしまったものは大きい。


≪国土、国民守る気概今も弱く≫

 その一つが「国家」意識である。個人の自由や権利が主張される一方「国家」というものから極力目を逸(そ)らしてきた。「国家」として国土を防衛し、国民を守るという気概も、他国に拉致された国民を何としても取り戻すという気迫も今もって強く感じられない。

 52年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復して今年でちょうど60年になる。40年に生まれ、戦後の惨憺(さんたん)たる日本の状態を子供ながらに見ていた者として、どのようなことがあっても平和を維持していかなければいけない、次の世代に平和の尊さを伝えなければならない、それは戦争の悲惨さを見た世代の使命であるとの思いで過ごしてきたし、今もそう確信している。

 だが、国民が拉致され他国で監禁状態に置かれたままの日本は真に「平和」だと言えようか。他国の顔色を窺(うかが)い自国の国土、国民を守る意識もない国は平和国家とは言えない。真の平和を維持するには大きなエネルギーが必要だ。

 四方を海に囲まれた日本は歴史上、他国の侵略を受け国が奪われる経験をしなかった。人々は「国家」が消滅するという切迫した危機感に乏しい。しかし、現実の国際社会では、拉致に象徴される様々(さまざま)な工作活動がなされ、日本も当然、標的となっている。事実、北朝鮮の工作員は船で日本の沖合まで来て、小舟などで上陸していた。日本国内に他国の工作員が易々と侵入していたのである。

 
≪羮に懲りて膾を吹くがごとし≫

 戦後、日本は国を守ることにあまりに臆病だ。羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹き続けている。真の平和を享受するためには、外交力、国際的な情報力、防衛力、母国への思いなど、あらゆる面で常に備えていなければならない。一刻も早く、国土と国民を堅固に守る体制が求められる。その根本が憲法である。

 憲法の前文を読むと、日本の長い歴史の中で、日本の人々が培ってきた文化に基づく考え方や思想が見当たらない、自分たちの言葉ではなく、他所から借りてきた文章が綴(つづ)られていると感じ、大変残念なことだと思い続けてきた。

 前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とある。今の国際社会は、「諸国民の公正と信義」を信頼できる状況にはない。諸国民を信頼する前に、「国家」として自立していなければならない。それには、自国の国民、領土・領海・領空を守ることが不可欠であり、できなければ国は消滅するというのが現在の国際社会の掟(おきて)である。国際社会は厳しく、甘えの余地はない。

 本来、調和ある社会を重んじる日本には、国際社会でも重要な役割を果たして貢献できる文化がある。こうした日本の精神・文化を盛り込んだ憲法を自ら制定する時が来ている。主権回復から60年、回復したはずの主権を自ら守り切らなかったことを恥じ、まずは自らの憲法を制定しよう。(なかやま きょうこ)

 


投稿日時: 2012/4/28

拉致被害者、特定失踪者のご家族の皆様とともに、約1000名の人々と、拉致被害者の救出を誓いました。
米国からは、中国国内から北朝鮮に拉致された疑いの強い、デイビッド・スネドンさんのご家族が出席されました。  


投稿日時: 2012/4/24

松原拉致問題担当大臣、横田早紀江さん、増元照明さん、とともに語りました。
 28日(土)には国民大集会が開催されることもあり、その告知も兼ねて、シンポジウムの様子は「ラジオ時事対 談」(ラジオ日本)で放送されました。 

 


投稿日時: 2012/3/30

3月30日(金)2500~ ラジオ時事対談(ラジオ日本)に出演します。

 拉致問題と北朝鮮の最近の情勢について、横田早紀江さんと対談しました。 

3月28日(水)参議院財政金融委員会

関税定率法の一部改正法案の審議で、成田税関支署長時代の経験をもとに質問しました

3月25日(日)

 NHKの生番組「日曜討論」に、たちあがれ日本を代表して出演しました。
消費税増税問題と原発再稼働問題についての議論となり、消費税に関しては、増税の前に、あるいは少なくとも同時期に、デフレ脱却のための大規模な経済政策が必要であること、原発再稼働のためには、ハード面でのストレステストの結果のみならず、ソフト面での管理体制、人材育成、訓練体制の確立が必要と述べました。

3月24日(土)

 秋葉原で行われた、たちあがれ日本 青年部主催の街頭演説に参加しました。


3月23日(金) 参議院予算委員会で質問

 経済・財政に関する集中審議に臨みました。

3月22日(木) 参議院財政金融委員会で質問

 租税特別措置法の質疑に当たり、経済成長に向けた政策を論じました。

3月9日(金) 北海道泊原子力発電所を視察

日本会主催の泊原発視察に参加しました。日本のエネルギー供給の在り方について、実態に基づいた政策立案のために、非常に有意義な視察となりました。
原発に関しては、予算委員会やNHKの日曜討論でも主張を展開しました。
日本の原発のハード面が高いレベルにあることは世界でも認められているところです。
ソフトの管理面における人材育成、訓練体制を確立することが、安全の砦であると考えています。

3月5日(月)「日本文化による国際貢献を考える研究会」開催

作曲家のすぎやまこういち先生を迎え、第15回の研究会を開催致しました。
「国家「君が代」は名曲です」と題し、大変興味深いご講演を頂きました。
詳細は後日お知らせ致します。

227日(月) 国際・地球環境・食糧問題に関する調査会視察 

 水問題の調査のため、つくば市にある 独立行政法人土木研究所を視察しました。
中央アジアに滞在した経験からも、水資源に関する問題は、日本が抱える重要課題の一つと捉えています。

 


投稿日時: 2012/2/3

2月3日(金)宮崎神宮敬神婦人会において講演の機会を頂きました。 

 
日本の原風景「鎮守の森」、由緒ある宮崎神宮を支える皆様を前に、日本の明るい未来に向けて語りました。

2月2日(木)宮崎市で、夫中山成彬前衆議院議員の主宰する
「宮崎未来塾」に参加しました。

 
宮崎のこと、国にことを真剣に想う方々の集まりで、
熱い志を実感しました。 

 1月14日(土)15日(日)、岡山県津山市、岡山市において、たちあがれ日本 
平沼赳夫代表の新春懇談会に出席しました。

歴史ある街で、志を同じくする多くの方々と語り合う機会に恵まれ、大変有難いひと時でした。
 



岡山に向かう飛行機から、新春の神々しい富士山が見えました」 


投稿日時: 2012/1/25

 1月24日、第180回通常国会が開会しました。

昨年は、東日本大震災により、被災地域のみならず、日本全体が経済面でも社会面でも大きな打撃を受けました。政治的には、政権の対応の遅さと、対応策の不十分さに、歯軋りする思いでした。復興に向けては、これからの長い年月、皆が心を一つにして取り組まねばなりません。政府には是非、発想を大きく転換し、日本の威信をかけて復興計画策定に当たってほしいものです。
参議院では、たちあがれ日本と自由民主党、無所属の会が同じ会派として行動することになりました。委員会はこれまでと変わらず、財政金融委員会、行政監視委員会、拉致問題特別委員会、国際・地球環境・食糧問題に関する調査会に所属致します。     
国会が、党利党略、党内融和などといったことでなく、本当の意味で日本の国の在り方を考える熟議の場であってほしいと強く願っています。
拉致問題等外交・安全保障問題、震災復興と日本経済の復活、日本文化による国際貢献等、今年もしっかりと主張を展開し、具体的政策に反映させていきたいと考えます。

 


投稿日時: 2012/1/24

 野田総理 施政方針演説について

1月24日の野田総理の施政方針演説では、拉致問題に政府一丸となって取り組みます、と述べた後、「日朝関係については、引き続き日朝平壌宣言に則って、核、ミサイルを含めた諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を図るべく努力していきます」

と述べている。この発言は、拉致問題とは切り離して、日朝国交正常化を図るとの意志を鮮明にしたものと考えられる。

 
小泉政権以来、菅総理まで、「拉致、核、ミサイルといった諸懸案の包括的解決を図るとともに、不幸な過去を清算し、国交正常化を追求する」、「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし」というのが、日本政府の基本的立場であった。国交正常化しても監禁されている拉致被害者が解放されることは決してないとの認識に基づくものである。
 

 さらに、六者会合においても、これまで日本の主張を踏まえ、拉致問題を含む人権問題が核・ミサイルと共に議題に含まれていたが、総理の発言から読み取れる流れでは、六者会合においても「拉致問題は取り上げない」ことに繋がっていくと考えられる。

 

 2009年1月、オバマ政権誕生直前に訪米した際、キッシンジャー博士は、「13歳の少女が学校からの帰宅途中に拉致されるなどという問題は人権問題以前に、人間の尊厳に対する冒である」と述べられた。また、ジョージタウン大学のガルーチ外交大学院長は、「米朝協議においても拉致問題を議題として取り上げて欲しい」との当方の主張に対し、「米朝協議においても、拉致問題を米朝国交正常化の条件に加えることも考えて良い」と述べ、「Press Us」という言葉で、米国政府に対するより一層の働きかけを促した。

 

「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」を原則とし、日朝関係、六者会合においても、核・ミサイルと合わせ、常に拉致問題の解決を議題とすべきである。

 
難航する核・ミサイル交渉より先に、拉致問題についての動きがあることは良いとしても、拉致問題を置き去りにしたまま核・ミサイル問題の進展によって国交正常化がなされてはならない。


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